昨日のブログで、インドネシア(バリ島雑貨)のことを書いた。そのブログを読んで下さりデザイナーさんから、すぐにメールが届いた。
「なぜ、平松慶がバリ島雑貨なの?なぜ、インドネシアに通うの?」という質問メールであった。
「Hadiah Bali」のことを書いたブログである。
なぜだろうか。自身に問いつめてみた。
バリ島を中心に、インドネシアへは、年間30日ほど、ここ数年通っている。以前は、旅行客、というイメージが強く、当たり前に観光地へ足を運び、そして、バリ島の文化を見て回った。
もちろん、今でも「観光客」には変わりないのだが、しかし、これだけバリ島に滞在していると、現地でも友人が出来、最近ではもっぱらひとり旅、もしくは沖縄の親友らと現地で落ち合い数日を楽しむスタイルが主になってきている。
最近は、バリ島には、「自身のコンディションを作りに」行っている。
プロ野球で言えば、シーズン前の冬のキャンプ、みたいなもの。
オフショアフィッシングで一年を通して動かなくてはならない小生、「体力」と「気力」がないと乗り切れない。精神的に追いつめられるロケもあるし、ベストシーズンであれば、もちろん身体を休める時間もとれない。
そのひとつでも意識が欠けてしまうと、僕のような弱い人間は、結果を出すことができなくなる。
メンタル面も鍛え、イザ、海に立つ。なんてカッコいいことを書いてみたが、実際、強靭な精神力がないと、追う魚も追いきれないし、体力的な部分でも、「ここ一番」の場面で気負けしてしまう。
そういった部分の強化を「バリ島」で行って来ているのだ。
バリ島、ロンボク島周辺は、以前の様に安易にGTを狙うことが出来るポイントではなくなって来た気がする。
様々な要因で、魚へのプレッシャーも重なり、「魚のストック量は多いが、難しい」フィールドであると、認識し始めて居る。
激流の中、どうやって魚を出していくか。難しいエリアで魚を追い続けていく精神力、もちろん赤道に近く暑さもあり、激流というエリアでの釣りなだけに体力的な部分も絶対に備えて挑まなくてはならない。
僕のスタイルで1年間を釣り続けようと考えると、厳しく、そして執念深く狙うことで魚も反応してくれる、とても嬉しい道場、でありこの地で自身を見つめ直し、チャレンジする意欲を沸き立てる場所、と言えるフィールドなのだ。
東日本大震災が起こり、世界中にこの様子が伝えられた。そんな中、海外からの安否確認も、たくさん頂き、嬉しく受け止めた。その中で、インドネシアからは、特に驚くほど心配してたくさんの友人から連絡をくれたのだ。
釣り関係、パンツ工場、現地滞在の日本人、ローカル通訳、ビーチの物売り、いつも泊まるホテルからも。
ふだん現地で、仲良く顔を合わしては、笑顔で接している仲間たち。
その笑顔に、どれだけ励まされたであろう。あの笑顔から、いくつものパアーを頂いた。
「気力」をもらい、「精神力」を磨き、日本で頑張り通して来た。
そんな「インドネシア」が当たり前に好きになり、嫌なところもたくさん見て来ているが、それでも単純に「好き」になった。だから、自分も何か、バリ島、インドネシアと間接的でも良いので、接していきたい、携わっていきたい、と感じ始め「バリ島雑貨」をゆっくりであるが、始めてのだ。
釣りを通じて通い始めた、「インドネシア」。
今だ、指を折りながら「サトゥ、ドゥア、ティガ、ンパッ」とやっているが、それでも、好きなのだ。
好きだから、接したい。好きだから、続けたい。好きだから、広めたい。
そんな思いでプラン−プランで始めた「バリ島雑貨」。これからも、強烈、には動けないですが、平松慶が「ふっ」と広めたいな、良いなぁ、と感じたものを販売に繋げていければ、と思っています。
*プラン−プラン=ゆっくり、ゆっくり。
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