【1/4沖縄本島GT春ツアー】6年ぶりの那覇に感動。

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【1/4沖縄本島GT春ツアー】6年ぶりの那覇に感動。

沖縄本島那覇生活は、年間100日を約10年間に渡り続けてきた。30代から40代にかけて、狂った様にGTに明け暮れていた。

それが近年ロウニンアジのタックル開発が無くなりスポンサー絡みで強化魚種の都合もありロウニンアジ(GT)ゲームに対しての取材やテストが極端に減った。

段々と沖縄本島生活から九州ヒラマサ生活の方がウエイトを上げ、開発が無くなると同時に癌になり、それから足が遠退いてしまっていたのだ。

「いつか行ける。いつでも行ける。」この気持ちがあると実はなかなか優先順位が先にならなくなる。「いつでも、行けるから」は本当に動かなくなるものだ。

マンブー兄貴から「いつになったら、来るんだ⁉️」と連絡が無かったら、動いたのはまだまだ先だったかもしれない。コロナ禍ともありそれ程動かなかったのだが、やっと重い腰が動いたのだ。

4月2.3日の2日間、GTゲームでツアーを組んでみた。

週末に船を抑えられたのもラッキーが重なった。ただ、仲間内でGTゲームの魅力を今強く持っている人は少なくて、どちらかと言うとジギング思考。仕方ないよね、私がずっとそうだったからだもん。

でもキャスティング好きな望月さんと辰元さんと一緒に行く事になり、私達は羽田空港から那覇に向かったのだ。

辰元さんは福岡で仕事を済ませてから夜最終で那覇入りとなる。私と望月さん(タカちゃん)はお昼には那覇空港に到着。手配してあるホテルが美栄橋だったのでゆいレールで向かう事にした。これも懐かしい。

ゆいレールが出来た頃は、わざわざゆいレールを使って飲みに行ったりしたし、ゆいレールが出来る前から遊び呆けていたからね。

タカちゃんとホテルにチェックインを済ませ、国際通りから公設市場辺りへと。いわゆる観光地の様子を楽しんでみたかった。

TVニュースで国際通りに全く人が居なくなってシャッターが降りた悲しい様子を何度も見たが、どうなっているのか、気になっていたのだ。とにかく歩いてみよう、と動き出す。

市場周辺のお土産屋はシャッターが上り灯りが戻り、人の行き来がみられた。ゆっくりゆっくり復活しているんだ、そんな力強さを感じた。

パタゴニア

それでもまだこの日(4/1)の都道府県別コロナ感染者ワースト1の沖縄県。アメリカァ〜が居るから仕方ない、って訳じゃないけど、コロナ感染には気をつけて軽く飲もう、と。

浮島通りが近くなんだけどなぁ…と思いながらウロウロと。

『あった‼️』カッちんさんのお店、ジージー。せんべろスタイルの様で店が新しくなってからは初めて。私はハイボール、タカちゃんはオリオンビールで乾杯。

懐かしい話を昼間から酒を飲みながらカッちんさんと話す。食べ物は無いから、と言われたから沖縄発祥の『やっぱりステーキ』へ。

そこでステーキが昼メシとなり、再びジージーに戻り、一杯呑んでホテルへと。

3時間ほど仮眠をしてから、再々にジージー浮島店へ。ここでおでんやらガーリックシュリンプやらをアテにして辰元さんの来沖を待ち、酔い潰れる。かなり呑んだよね、だって昼間から酒を飲んでたんだから。

12時頃に終了となりホテルに戻ったが、私はもう少し回りたい気分になり、ひとり徘徊。

oléに行き、その後にサーファーサーファー陽子の店へ。桜坂も久々だったが、浮島通りから直接向かった方が早かったのに…とひとり反省。

酒の量こそたくさんは飲まなかったけど、挨拶はあちこち出来たかな。那覇生活初日、お酒でスタートした1日になったのでした。

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keitanhiramatsu