【次男坊、高校卒業式】長かった光明学園、有難うございました。
2025年3月1日、次男坊の天が光明学園相模原高等学校を卒業しました。
光明学園柔道部との繋がりは、長男時代から。長男が光明学園柔道部へ特待生として入学させてもらえ、私もそのタイミングで柔道稽古へと向かう様になりました。
9つ歳の差がある次男坊は小学2年生。八巻祐監督の計らいで小さな小さな次男坊も稽古に参加させてもらえる様になり、次男坊も週末には光明学園柔道部へ稽古に通わせていただく事に。
長男時代は八巻祐監督の監督&教員スタート時代でもあり、保護者としても私は色々とお手伝いなどさせてもらい、光明柔道部との関係を繋げていました。
また道場関係の指導者も光明出身者が多く、柔道を始めた環境時期から光明学園はとても近い位置だったのかと思います。
次男坊は中学生時期にコロナ禍真っ只中であり、稽古環境が厳しく道場にも通えず、出稽古も他は受け入れてもらえない環境だった事もあり、練習という部分では物足りない時代であっただろうと思っています。
そんな時は自宅の和室を使い打ち込みなどを受けてあげたり、時には八巻監督が自宅まで技術指導に来て下さったりもした。
本人も高校進学は光明学園かなぁなんて口にし始めたタイミングもあり、中学生時に勝ち得なかった全国大会出場を目標に光明学園で高校柔道を更に学ばせてもらう事になった。
高校一年生からインターハイ団体県予選で使ってもらえ、また二年生新人戦では県1位で関東大会にも出場させてもらった。
松前杯では決勝戦で本命選手に負けてしまったが、レベルの高い試合で上位に進められたのも光明学園での稽古が素晴らしいものだったからだと思います。
三年のインターハイ個人県予選で優勝でき、2年連続しての柔道部インターハイ個人出場。
長男が光明学園を考えたタイミング時に当時の道場先生が八巻祐選手が監督になるなら、絶対良いよという勧めもあり、次男坊のひとつ上でそれが実現し、次男坊もインハイへの駒を進められた事に感謝しかありません。
稽古自体は自身が努力しなくては鍛えあげられない部分も多いでしょうが、指導者と柔道環境は学校の受け入れ体制も重要です。そういった意味では、八巻監督の柔道繋がりでオリンピック選手や卓越した技術指導もしてもらえ、本当に有り難かった。
今年、無事高校を卒業し新しいステージに向かいます。
稽古が終わった日は必ず「今日は何巻した?」が我が家での口癖。これはどうやら部員のどこの家庭でも同じ内容が飛び交っていたのは後の保護者会で聞いて笑えた所でした。
10年以上光明学園(12年)へ通い柔道を学ばせてもらえた事に感謝し、そして次のステージでは光明学園柔道部に恩返し出来るような柔道選手に成長するよう、頑張ってもらいたいと親として思っています。
柔道部顧問の先生方、またクラス担任の先生方、またご指導いただいた先生方、本当に有難うございました。