【原点回帰】名古屋市北区中切町で産柄をあげ。小6まで住んでいた場所を見て来ました。
昭和44年7月21日生まれ。小生の誕生日。
さらには人類が初めてアポロ11号から月面着陸した、その足が付いた同時刻に「オギャァ〜!!」と小生はこの世の中に出て来ました。(ビックリなタイミングでしょ)
小学1年生で母親の実家になる愛知県常滑市で父親やおじさんらに連れられて行った「ハゼ釣り」が小生のファーストフィッシングとなり、それ以来、自宅近所の庄内川、矢田川、滋賀公園の池、地蔵川、矢田川ゴルフ場内の池、三郷悪水路、名城公園の池、名古屋城のお堀、がホームグラウンド。
小学生の頃の休日は、ほぼ100%に近い日程で、これらのエリアを回り、フナ、モロコ、クチボソ、モエビ、ザリガニ、ナマズ、ライギョ、ブルーギル、ブラックバスを探し求めて釣り竿を背負い、自転車で行動していました。
地蔵川での思い出は、この後出て来る「乗円寺」のご住職様(同級生のお父さん)が連れて行ってくれ、ガサガサの面白さを知った。
落ち葉を取る、竹で編んだ大きなチリトリで、オーバーハングした草下を「ガサガサ」とやり、マブナやクチボソ、テナガエビ、ナマズ、が大量に捕れたのは衝撃的であった。全て、少年期の大切な記憶。
この記憶だけじゃないのですが、少年期の記憶を辿り、小生の小6まで育った環境を見に行って来ました。
まずは、母校となる「名古屋市立川中小学校」へ。
ここは、小4の時に「光城小学校 分校」だったのですが、生徒の数も増え、分校から、「川中小学校」と独立した学校。小生、小6の7月頭に瑞穂区の御劔小学校へ転校したので、小学校の卒業アルバムは、なんと2冊(笑)でも、どこにいったかは、定かでなく…。
そんな生い立ち場の「川中小学校」をマジマジと見る。そこから、自宅へと当時「通学路」であったコースを歩いてみた。
「ここ、誰〜誰〜の家だった」そんな記憶や、「ここ、シキシマパン屋だったのに〜」なんて記憶が蘇る。歩いてみて思ったのは、小学生の時の目線と今の身長での目線の違い。
「しゃがんで、見てみよう」少し膝を曲げ、通学路を見てみると、回りの景色は見事に変わっているのだが、その道脇や路面の雰囲気がそっくりよみがえって来た。
柔道で小学生と話す際、「目線を合わせて話す様にしている」のだが、こうした懐かしい土地に戻り、小学生だった頃の目線に戻す事で、その時の感情や遊び、文化、価値観などまで記憶がよみがえる。驚いた。
小学生の頃、いつも柔道の先生を見上げては、怒鳴られ、そして怯えていた。今、指導する立場になって、この「目線を合わす」ことの重要さを実感。
小生が指導した小学生の記憶の中に、よい思い出として記憶されているのだろうか、不安を覚える。こうやって日々の何かの変化を小学生や中学生の指導に役立てていきたいものだ。
自宅位置近くまで歩いて来ると、本当によく遊んだ「乗円寺」に到着。
中に入り、参拝させてもらった。
真夏の日中、七色に輝くタマムシを初めて捕ったのも、この乗円寺。虫かごに入れ、母親に自慢した記憶。母親とふたりで「エサはなんだろう?」と図書館へ行き、図鑑で調べた思い出。どんどん、当時の記憶が溢れ還り、脳活性もフル回転(笑)
乗円寺から、自宅位置へと歩く。
当時のままの長屋を越え、今は駐車場となった自宅位置に到着。
玄関を出て見える風景。嬉しいことに、自宅位置前のお宅は何も変わっておらず、ガキ大将だった「ケイちゃん」はワクワクした。
親が画材や作品(親は日本画家)の収納の為に借りていた駐車場も変わらぬ姿。雨の日は、ここでメンコをしたり、コマを回して遊んだ思い出。自転車をいじくる事も好きだったので、暗くなるまで、ここで自転車に油なんかを注していたよなっ。
今度、鎌倉に帰った時、父親、母親にこの写真を見せたい。名古屋から離れ、30年。個展などで名古屋には行っているのは聞いているが、たぶん、北区の家は見てないだろう。懐かしむ親の顔が思い浮かぶ。
乗円寺と双んで、小生の最高の遊び場「神明社」ここにも行ってみた。
当時、朝のラジオ体操や町内の集会はここの詰所を使っており、通い慣れた場所であった。そして、裏の斜面になってる草むらは、「秘密基地」建設現場(笑)
段ボールや木材を空き地から持って来ては、ここで「秘密基地」を作って楽しんだ。昆虫採集やポコペン、だるまさんが転んだ、鬼ごっこ、ドロ巡、神明社内でエリアを決めての遊びには、最高の場所であり、常にここは子供達が集まっていた場所であった。行けば、必ず顔見知りの誰かが居て、走り回っていた場所なのだ。
夏休みの一刻。
この日は、やたらアブラゼミの鳴き声がウルサく響いていた神明社であった。でも、誰一人、捕虫網を持ってウロウロする子供の姿は、ない。
これも、現実なんだなぁ〜。川中小学校から、乗円寺、そして神明社と歩いたのだが、寂しい事に、ひとりの子供とも出会わなかった。
小生の頃と、今の夏の暑さは違うだろうし、少子化の影響もあり、子供の数が減っていることも、分かる。
しかし「ここは、こんな虫が捕れて、ここは、こんな隠れ処が作れるんだ」そんな遊びを提案する大人も居なければ、そんな遊びに魅力を感じない時代になってしまったんだなぁ〜。と神明社を後にしながら、寂しい感情を隠しきれなかった。
神奈川に戻ったら、また次男を連れて「ガサガサ」しに出掛けたい。クワガタ捕りや、セミ捕りに必ず行くぞ。そんな思いで、いっぱいであった。