【マルちゃん杯少年柔道全国大会】古きライバル再会。嬉しい一日でした。
東京武道館へと次男は6時に小田急線座間駅で道場生らと待ち合わせで出発した。
初めての全国大会。小学生で全国大会に出場出来る素晴らしさ。
女房と小生は開会式が終わる頃を見計らい、遅れて自宅から東京武道館へ向かった。
『マルちゃん杯 関東大会』では様々なストレスを保護者、指導者等から受け、試合結果は良かったが後味の悪い終わり方となった。
誰がどうの、こうの、を今は言わない。今は言わない事で丸くおさまるなら、今は黙っておく。選手が精一杯これまでの練習結果を出せれば、それが一番なのだ。
指導者は選手たちのパフォーマンスを最大に引き出してあげ、絶対にサポートへ回り選手中心の環境を提供しなくてはならない。
果たして、これに伴う内容が関東大会時から我がチームは出来ていたのだろうか。そんな思いもありながら、会場へと入る。
小生が武道館に到着した時は開会式が始まる頃。チームのアップも終わり、柔道衣チェックを済ませた頃。
女房は観客席へと向かっていったが小生はそのまま試合会場へ。たくさんの先生方にご挨拶をして大親友の宮本功三先生と合流。
ふたりで【君が代】を熱唱し(これ、マジ)、バカトーク。おバカなトークをしているとアジア大会のメダリスト『飯田健太郎』選手が子供達に激励と技の披露に来てくれていた。
宮本功三先生と私はニヤニヤしながら飯田健太郎選手の技をみて、その後のトークに微笑んでいた。
試合は小学生4会場、中学生4会場に分かれ、小生は宮本功三先生の審判を見て勉強。
全国大会での中学生が組み合う試合を自身が主審になりどのような判断(ジャッジ)を下すか、これが一番勉強になる。
どうだろう、2試合(2団体戦)ほど観ていただろうか。この場合のジェスチャーは?この場面はどちらの選手に指導を与えるか。その内容の指導を伝えるか。たくさんの勉強がそこにはある。
だから、勝ち負けの勝敗以上に試合会場での「審判をする目」でみる試合は全てが勉強となるのだ。
功三先生が審判を終え、質問する。
「あの場面では押す相手に最初に「指導」を与えたけど、すぐ次に下がる動きがあったから「指導」を与えたよね。」そんな具合に話すと「おっ、見てたんだねっ。あの場面はあれが妥当だったけど、その前の足払いにかなり近い技出しは正直悩んだよ」そんな会話が続く。おバカ話しだけでなく、こうした会話が楽しいのだ。
「あっ、慶ちゃん。大成(大成中学)来てるよ。」功三先生が言う。
「もしかして、神谷(神谷兼正先生)来てる?」と問うとさっき、居たぞ、ということになり、ふたりで神谷先生探しに走った。
「とんとん。」肩を叩いて振り返った神谷先生。「おっ!久しぶりっ」お互いにニヤッとする。
功三先生と小生と神谷先生。何だか、不思議な繫がりであるが功三先生は高校時代から繋がっているし、小生は小学6年の終わりからの毎回県大会で決勝であたり、一度も勝てなかった相手。
日々のツラい稽古は必ず「次こそ神谷に勝て!」当時は物凄く厳しい道場であり、間違いなく県決勝は団体戦でも個人戦でも神谷君と当たっていた。
高校時代もライバル校に進学し、高校3年まで常に意識して来た相手。だから余計にこんな場面で会えるのが嬉しかった。
長男が中2の時の春高校選手権大会で内村直也先生と何年かぶりに顔を合わせたが、その時に神谷先生も大成高校の引率で日本武道館に来ていたので、その時に会ったが、ゆっくり話す事が出来なかった。
今回はこうして試合場でゆっくり募る話しをする事が出来た。
同級生の話し、近年の様子や指導方法、愛知県の連盟の様子などなど話しは尽きない。そうこうしているうちに、次男の試合が始まりそうだったので、神谷先生、功三先生と観に行く。
初戦は突破し、二回戦目は次男が引き分けてしまうミスで流れが掴めずで敗退。次男の全国大会はここで終わった。
試合に対して小生は多くを語らなかった。もちろん道場生にも今回はコーチではないのでそのまま試合会場で中学生の試合を観て、審判のジェスチャーやジャッジを学ぶ時間にした。
それにしても今回、本当に古くからの仲間と会う事が出来、嬉しい時間であった。
功三先生、神谷先生に先に帰る事を告げ、戻り電車の中で「次にステップしていく生徒達に果たしてどんな指導が出来るのだろうか。」そんな事を考えながらの小生であった。