【⑦夏空見上げて、道東へ。七夕で織姫様に会いに】北見チーム合流‼️
「日曜ドラマ」は深夜3時に巨大ハイエース内でこの日もオンエア。来岸港までの2時間はノーサイドな時間であったのだ。
来岸港に到着すると、北見チームにご挨拶。加藤チャンや西森さんらが優雅にコーヒーを飲んでいた。片道5時間、近くで素泊りし積丹半島入りをした様です。
今日は賑やかになりそうだ。そんな楽しみが朝の港でプンプンしていました。細かく書かなかったですが、昨日の釣果はかなり良かった。もう稚内を超えて上っていると思われる10kgサイズをキャッチし、ちょいとヒーローになれた。
偶然だとは思うのですが、その当たりくじを引けたのが私だったのでよい思いをさせてもらえたのでした。
この日も海はベタ凪。神威岬周辺の55~70mを中心に探る。私はいわゆる「ドテラ流し」が大好きです。
人によっては、船で魚を探さないから船長が動かない、だなんて言う方もいますが、私はそうではないと考えます。船長が「この瀬やこの水域で必ずぶり(対象魚)が回ってくる」と考え、どの方向に流れて行くか、どう船の位置をおいたらドンピシャに狙いたい位置に入って行くか、を想定し、その当てどころが船長業の難しさであり、面白さであると感じています。
魚の反応を追い続けて「はい、そこから10m、反応出ているよ」と次々動き回るスタイルの船もありますが、それは魚探で遅れて出てきた反応を重いジグで直撃してヨーヨーのように真下へ落として探れ、と言っているようなもの。
真下への反応で動くならば、ソナーを回して魚の向きを把握し、その先を見越した狙い方でジグを操作させてくれるような強烈なテクニックの方が面白い(私は、です)。
福岡、姪浜港の海楽隊 東野船長からこの難しさを徹底して仕込まれた。まだ30代前半だったかな。
年間80日玄界灘に通っていた時代。船長宅に泊まり込みさせていただき、毎日玄界灘でジギングの徹底した英才教育を受けてた頃。何も見えないミヨシにひとり立たされ、海の流れを表水面で学び、ラインから伝わる水深90m底の様子や、流れている方向、その逆の釣り、もの凄く勉強させていただいた思い出ある。
過去に確か2度、船長の船でブリ、ヒラマサのジギングで釣りビジョンの撮影があり、ひとりガンガン釣りまくった番組がありましたが、それを観てもらえると船の流れとジグのコントロール速度、そしてジグ形状の使い分け、などがわかりやすく解明されていると思います。
それを学んだのが海楽隊 東野船長との時間。
「さみしい背中」って言うレッテルを常に貼られ、誰からもアドバイスがもらえないミヨシで自分の知識だけを頼りに魚を探していく。答えは全てジグから伝わる間にあるのだ。
だから無駄に動き回らないし、動き回る必要がない。だって、船長を信頼し、その船に乗船しているのだから、その船長が「ここだ」と決めた場所で今度はアングラーの技量で魚を探していかなくては、面白みにかけるんだよね。
これが私の考え方であり、30代に徹底的に学んだジギングスタイル。だから私は「ドテラ流し」が大好きなんです。だって、何度も言いますが頼るところは自分の引き出ししかないのだからね。
その昔、奄美大島で「ワールドマリン奄美」と言う船宿メインのリゾートがあった。そこでPEラインの釣りを展開し、スーパーディープジギングとして世に広まり現在のジギングスタイルがあるのだが、その時に工藤忠生船長が激流の水深150m以深でのカンパチやイソマグロのジギング展開をしていた。
メタルジグは当時最大の10オンス(280g)でバーチカルに攻めるスタイル。この時は、私も真下(バーチカル)へとジグを投入し、しゃくりの変化でカンパチ、イソマグロを狙っていた。
カンパチは小刻みにハイピッチで、イソマグロは大きくジャーク幅を作り…と当時(20代)は教科書がないから、それこそ「釣り手帳」で書き込み、必死だった。
その時に船をスパンカーで真っ直ぐにして最高装備の船で深場の巨大魚を狙わせてもらっていたが、これもジギング。
様々なスタイルがあり、どれがいい、ってのはなくて、その人のスタイルにあった釣り方で楽しむことが一番だし、そこで応用が聞くようならば、それが釣果に繋がるだろうし、ね。
ジギングがもっともっと普及して誰からも楽しんでもらえるジャンルになることが一番の願いかな。この日もドテラ流しでがっつり楽しませてもらいました。
釣行時間のうち、ほぼ前半は泣きが入る状況。これを理論付けするために、ラストで釣り座を加藤ちゃんに変わってもらい、検証して釣果を把握して終われました。
そのあたりは次号ソルトワールドにみっちり書くようにします。
釣り位置に於ける、潮の角度とジグの向き。魚の頭の方向と潮差し。ぜひ、こ期待ください。