【京都寺院にて、思う事⁉️】ここから飛び降りる思って。寺院周りに感謝の意‼️
今回の京都ぶらり旅。実の事を言うと、長男が来夏に結婚することになり、その一つの動きとして京都に家族で行くことになったのだ。
詳しい内容は両家等の事情もあるのでここでは書くことはないが、でも実際に幸せ事で今回動いており、二日目の行動で寺院の参拝を組み込んでみた。
初日は錦市場やパタゴニア京都ストア、その他お好み焼きを食べに行ったり、ラーメン食べたり、とそれなりに京都での行動を表してきたが、二日目はお寺周りがどうしてもしたかった。
ご先祖様の供養等にもコロナ禍でなかなか出来なく、大きなお寺を通じて、ご先祖様へ色々な報告がしたかったのだ。
両手を合わせる事で心が清も、詰まる胸中が楽になる。最近、そういった行為ができるようになってきたのも、私自身が歳をとったのだろうし、そう信じたい心が強く芽生えて来たからだろうと感じている。
次男坊は古着屋に行きたいだの、亀岡に行こうか、だの言い出す。長男、奥様は親父の意見に賛成してくれ、多数決にて決定。とは言っても、それほどたくさんの寺院に行けるような時間もない。だからどうしても行きたかった清水寺と三十三間堂へ家族を説得し、向かうことに。
五条通りもほんと久しぶり。懐かしの9号線だなっと一人横断しながら思う。この先には琵琶湖にも向かうし、逆には亀岡、また私の釣りのルーツが刻まれている日本海/丹後半島へと向かう道なのだ。
永井誠一師匠はじめ、お世話になった先輩方へのご挨拶か、と思ったが、まだ緊急事態宣言中。人との接触を極力控える時期だったので、もっと堂々と行ける環境に戻ってからご挨拶に行こう、と今回は行くのを取りやめにした。
だから朝から清水寺に向かう。五条通りからそれほど距離はないのだが、でも私以外の者は極端に歩く事を拒んだので、ワンメーターなのにタクシー乗車。
そういえば、京都で生活している頃って、京都市内の移動はほんとワンメーターでもタクシーに乗っていたよな。3人で移動するなら、間違いなくタクシーの方が動きやすい。金銭的にも時間もそっちの方がコストも良く、タクシーに頼っていた事を思い出した。
柔道部の仲間と亀岡から市内に出て来て買い物するだけで、四条河原町周辺からJRまではタクシー。車の持ち込みが原則禁止されていた(4回生だけは、許されていたけど)ので原チャリで亀岡から行く根性もなく、てね。そんな思い出のある場所が京都市内。
もっとたくさんの思い出はありますが、今回はこれくらいにしておき、家族で行く寺院周りのお話。
清水寺に到着すると、予想以上に観光客はいた。次男坊、今年に入りすでに2度も修学旅行の日程が変更となり、私が柔道で絡んでいる隣街の中学校は早々に中止が決定し、次男坊の地域もいつ中止になるかわからない状況。
だから、少しくらいは修学旅行気分にさせてやりたい、と思い、次男坊にグループで決めた清水寺の行動予定を思い出させ、先頭に立ち、家族をハンドリング誘導してもらった。
本来なら9月下旬、京都の有名寺院はどこも皆、修学旅行生でごった返し、おみやげ屋はウハウハして大忙し、地域の観光ガイドさんも出ずっぱり、大型バス停留所にはバスガイドさんなんかもうじゃうじゃして、外人さんが着物なんかを来て歩いている…そんな様子が毎度の景色なんですけどね。
修学旅行にきていた中学生は、私が見たのは1校のみ。もしかしたら私服での行動だったかもしれないけど、それでも中学生諸君はほとんど見ることがなかったなぁ。余りにも可哀そ過ぎる。
この「可哀相」なのはご当人修学旅行の小中高生、そしてお土産屋のおっちゃん、おばちゃん。バス会社の人らもきっと仕事がなくて泣きが入っているだろうし、きっと綺麗なバスガイドさんもつまらなそうにしているに違いない。
この状況下が早く落ち着き、2年前を取り戻して誰もが、そう全員がハッピーになって欲しい。修学旅行が中止になってしまった子供達のハッピーを取り戻すには…どうしたら良いのだろうか、それだけは言葉にする答えが出てこないけど…。
清水寺の舞台に立ってみた。「ここから飛び降りる思いで何かを決意する。」そっと柵の下を覗いてみた。私には、そんな怖いことは出来ないし、根性も勇気もない。高所恐怖症だし。
でもそれほど昔の人は、ここに立ち、断腸の思い…断腸は腹を切ることか…断腸ではないが、飛び降りるほどの決意を強いられて決意を表明しなかったのだろうと思うと、現代の言い方なら「それってパワハラだよねっ」で言われたり、「決意って脅迫?」となってしまう世の中なのだろうか、と清水寺の舞台に立って、ひとり考えていた。
そんなしょうもない考えをしていても、いいことはない。家内安全、無病息災、学業成就、商売繁盛、とたくさんの事をお願いしまくり、次の寺院へと向かった。
続いて、三十三間堂。1001体の千手観音仏様が豪快に並び、その顔をゆっくりと見つめて自分自身の心と向き合う。私は、ここの寺院が日本中の数ある寺院の中で、最も好きなところ。
子供の頃からここによく来ていた。父親の知り合いの画家が、三十三間堂のすぐ近くの長屋で暮らしていて、そこに父親と遊びに来ては、私だけ三十三間堂でセミ捕りをしたり、もちろんお堂の中に入っていた。
1001体の観音様を見ていく。「わっっっ!」強烈に目があった。動けなくなる。胸の何かをもぎ取られるような感情がおこり、そしてその後には安堵に変わった。ものすごく一瞬疲れが出て、そしてその後の強烈なエネルギーが体の中宿った。
「金毘羅王」様。水の仏様として祭られ、漁の仏でもある。まさに私が護って頂きたいと願う仏様であり、感情が伝わった時、とても澄んだ気持ちになれたのだ。
ずっとずっと来れなかった場所。
思えば、この京都に来る時に、そういつもの三十三間堂近くの長屋に遊びに来る日に新幹線の中で読みたい、と思って本屋さんに買いに走ったのが「学研 釣りトップ」。
その雑誌を買いに自転車で走り、その時に自動車と接触事故。すぐに運ばれたのが柔道整復師の「妹尾道場(接骨院)」。捻挫の治療をしてもらいながらもずっと妹尾先生に「柔道やれ、柔道やれ」と体格のよかった私は言われ続けていた。
結局この日は私と母親だけは京都にいけず、であったが、子供の頃から親しんだ三十三間堂への思いって私の中では本当に大きかったんです。色んな因果もあるみたいだし、ね。
今回、仏様をずっと眺め、自分自身と向き合い、これからの気持ちの整理などもすることができました。
常に前向き。一生懸命。本気で全力。真剣勝負。次男坊は修学旅行の予行練習、長男、奥様は結婚前の親子旅。私は少し疲れていた、そして心の供養にもなった京都寺院の旅をさせていただきました。
長男が作ってくれた、こうしたきっかけ。それが京都であり、疎かにしていた先祖への思いもつっかえていたものも無くなり、有り難い時間にさせてもらえた事に感謝です。
次は、お墓参りへいきたいなぁ。