【釣具界の兄貴、立原資朗さん退社】長きに亘り、これまで有難うございました。
2025年2月末日にてピュアフィッシングでお世話になっていた広報の立原さんが退社となった。またひとり私の周りに居る「釣り業界の生き字引者」が業界を去る事になり、寂しいと強く感じています。
私と立原さんとの繋がりは立原さんがオリンピック釣具(マミヤOP)に在籍されていた頃から。当時私は20代後半だったはず。
リールの契約がどことも無い状態であり、各メーカーのリールを買い漁り使っては海での使用の可能性を広めていました。そんな時、最初にお声掛けして下さったのが立原さんでした。
「Abuリールのテスターになって欲しい」。その当時はブラックバスのフリッピングロッドにベイトリールへPEラインを巻きワンピッチショートジャークが主流になり出した頃。
近海でジギングをするスタイルで私はここからAbu Garcia 6500番を中心にオフショアゲームでのジギングをメインに使う様になったのです。
ジギングシーンはそこから広く大きくなり、スピニングリールもマミヤOPからの支給ブランドを使う事に。
《エイハブ》っていうスピニングリールを知ってる方は相当古いオフショアアングラーさんです。コルクが使われたドラグワッシャーで、ナイロンラインのポンド数(IGFA規格)に分けたサイズ展開がそのままのサイズ基準になっていた。
エイハブにPEラインを巻き、それで魚を掛けては、コルクが毎回ぼろぼろになり、ほんとPEラインでは使えなかったとブー垂れた思い出がある。
それらを踏まえてのマーフィックス。今は販売先も変わってしまったが、最初に作ったのは立原さんチーム。もちろん、この時代も立原さんからの声掛けで私のリールシーンをサポートしてもらってきました。
私はその後、日本大手のメーカー(1999年頃)から契約が成立し、立原さんとのリールマネージメントは一度終了となったのです。
その当時、国産リールメーカーはどこも『ダメ』でした。強度だけでなく、ドラグ、ギア、ハンドル等全ての面において。その辺りはまた違うステージで伝えようと思っていますが、今回は立原さんが主ネタ。
日本メーカーのオフショアリールが4年に一度のペースで精度が向上し、世界的にも《No.1》を誇れる製品に上り詰めた。
〜あるタイミングでの転機〜
2014年頃だったと思いますが、私がフィッシングショーの館内に居たタイミングで立原さんとお会いし、話がしたい…となったのです。
その時、立原さんはピュアフィッシングの広報部でした。私は日本大手のメーカーとリール契約をしており、何の話かなぁ程度でしか思っていなかった。
ピュアフィッシングのブースに呼ばれて、その時に紹介されたのが、PENNリールだったのです。
全く興味がなく、何で今更PENNリールなの?これが一番最初に思った感想です。
日本大手メーカーにてリールのサポートを契約しているので、と丁重にお断りをさせてもらい、1年が経過。その年もやはりピュアフィッシングの立原さんからの熱いオファーをいただいた。
その時に言われた言葉が私の気持ちを大きく動かしたのです。
「一度日本市場から消えたPENNブランドを復活させたい」。この言葉は忘れられませんでした。
実際、完全に日本のオフショアゲームでPENNリールは消えていた。国産リールメーカーの企業努力でいつしか海外リールブランドは国産ブランドに追い越されて追いつけれない位置まで差が出て日本のフィールドでは必要など無かった。
それを今更…なぜ。そんな感じを私が一番強く持っていたので、立原さんからのオファーはあまり気にしない様にしていた。ただ、その時に言われた言葉は少し頭の片隅に残っていたのです。
それからの立原さんからのラブコールは本当に多かった。
これは後に聞いた事なのですが「PENNリールブランドは私でないと務まらない。イメージにこれほど合っている人は他に居ない」と。
その熱意に負け、私は国産リールメーカーとの契約を終え、立原さんの3年に渡るラブコールに根負けしピュアフィッシングとの契約になったのでした。
そこから最初の2年はほんとキツかった。
「今更PENNなんて」そりゃ、そうですよね。国内オフショアアングラーが全員思うでしょう。「絶対にS社でしょ、なんでPENNにしたの?アホじゃない?」そこまで言われた…。でも当然だと思います。
しかし立原さんとそれらの苦言をバネにし二人三脚となり、PENNリールブランドを少しずつ広めてきた。
やっと認知度がじわじわと出てきた4年後のタイミングでピュアフィッシングの代表(社長)が我々テスターと呼ばれる位置の人を全員解雇。紙切れ1枚で解雇です。
ブラックバスアングラー、オフショアアングラー、ピュアフィッシングに関わるエンドゥーザーと呼ばれる人達全てです。
超有名なバスプロさんらも、この一撃で契約解雇です。あまりの扱いに怒りを通り越して笑えた程。あの時に立原さんに発した私からの言葉は相当キツかっただろう内容だったと思います。
紙切れ1枚の内容で私はピュアフィッシングとの契約が無くなった。あまりにもひどい仕打ちをしてくれた、極悪ピュアフィッシング…。あの時の怒りはまだ忘れていません。
しかし、それでも立原さんは私にリールを送り続けてきました。どうしようか、他社リールブランドのお声掛けもこのタイミングで出てきてるし…。
私はプロアングラーとして、金銭が絡んだ契約をしていただき、釣りをサポートしてもらう事が職業なので、行動だけは慎重にした。
黙ってリールを送って来てくれる立原さんとの繋がりと言うか、信頼関係が無かったら、もうさっさとピュアフィッシングとの関係は破棄していたでしょう。これ本音です。
外資系企業と言うのは、数字が伸びなければ代表が変わる(…らしい)様で、私が他との契約をしない事で新体制となったピュアフィッシングとの再契約を立原さんが相当な熱意で動いて下さった。
再びピュアフィッシングとの契約になったのです。ここからPENNリールブランド広報の活動が私も復活。
新体制で動きだしたPENNリールブランド。営業スタッフの努力も大きく、やっと国内釣具店への認知度も高まり、更に飛躍していきたい、となったタイミングで立原さんは定年再雇用契約を終え、ピュアフィッシングの退社となってしまったのです…。
いつかは、この別れがあるだろう…これだけはずっと覚悟をしていました。だから、仕方がないと言えば、それまでです。
ただ、私にとって立原さんは、単なる釣具メーカーとの企画、広報の関係ではなく、それ以上だったと思っています。
尊敬する釣具業界の兄貴だったんですよね。
出会いがあれば、別れもある。だから立原さんの退社は理解しているつもりです。感謝しかありません。もっともっとPENNリールブランドを広めて行きたかった。
根強いファン、コアなファンを増やして市場を盛り上げていきたかった、これが私の思いと共に、立原さんが去った後の私の使命として契約が続く以上は頑張っていきたいと思っています。
立原資朗さん、これまで長い間、釣具業界でこんな私を頼りにして下さり、本当に有難うございました。心から感謝をしております。
これからは、少しのんびりしながらマイペースで魚釣りを楽しんで下さいね。時にはカメラ無しで一緒に釣りにも行きましょう。
熱いマス時間を北海道で楽しみたいですね。ほんと、お疲れ様でした。