【学研 つりトップMOOK シーバス全科】平成5年(1993年)11月1日発行

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【学研 つりトップMOOK シーバス全科】平成5年(1993年)11月1日発行

何となく、仕事後にヘッドライトの灯りを確認し、サーフにひとり立ち込んでK-TEN140やポップクイーンなんかを朝まで投げたくなってる今日この頃。

20代前半、シーズンになると1週間の内3〜4日を由良川サーフで過ごしていた学生時代。天気図を毎日確認する事も大学生時代からの癖となり、今では当時のこうした行動がとても役だっています。

手持ちのシーバスロッドは今どこに行っちゃったのかなぁ…。多分鎌倉実家の倉庫にあると思うんだけど。

数年前に実家倉庫から新品のアングラーズハウスのネオプレーンウェーダーやらリバレイのウェーダーがいくつか出てきた。少し保管しておいたパタゴニアのブラックホール120ウィールドもすごいことになっていた…どれもカビが生えてしまっていたのでオシャカとなったのですが、いつか実家倉庫も片付けないと…。

古いAbuなどはダンボールにゴロゴロ入っていたママが見つかり実家から送られてきたけど(笑)

まあどうであれ、当時使っていた物はなかなかリアルに使えるものはもう無いだろうなっ。なんせ1993年頃なんだから。

パタゴニア

今回紹介するのは27年前に書いた文章。学研から出版された釣りMOOKでシーバスゲームに特化した1冊。

頭の良い小学生が書いた読書感想文の方が内容が分かり易い位、私のデビュー作は文章が酷いな。これ、400字原稿用紙を25枚と言う文量指示で一冊の綺麗な出版社名が印字されている原稿用紙が送られて来たことを今でもしっかりと覚えています。

小さな枠や釣り場情報などは「つりトップ」に書いていたので今回のような本格的な文章を作り枠で綴る原稿は大変であった。当時厳しくご指導を下さった「つりトップ」中間編集長に速達で送る。すると直ぐに速達で送り届けた原稿が返ってきた。

ただ、私が書いた原稿のコピーに真っ赤になる程の赤ペン手直しが入っての物も添えて。そのやり取りを何度か重ねてやっと入稿完了。pcなど有るわけなく、常に速達でのやり取り。faxは自宅に無かったのは学生時代だったから当然の事でしょうね。バイト先のfaxを何度か使わせてもらった事も。

私にとっては大学卒論よりもつりトップの入稿が何より大変な課題であったのは間違いありません。この1冊から始まった釣りの原稿書き仕事。

確か振り込まれた原稿料の額は3万円だったと思います。必死に大好きな釣りを文章に変えて伝える仕事。これ、将来的目標になるかなっ、と最初の原稿料をいただいて間違った感覚になってしまったのは後の後悔(笑)

まあ、後悔ではないのだが、関東圏それも都内の出版社と地方(関西エリアを含む)出版社との原稿料の違い(いわゆる人件費、だね)のギャップにその先驚く事となる。

この先掲載する予定の岳洋社さん「関西のつり」は原稿料がいくらだった、とかは間違っても書けないがまあこれが地方出版社さんの額なんだなぁ、と知った。大阪だけでなく福岡や名古屋の出版社もどこも同じもの。

釣りの師匠、永井誠一師匠から「釣りを記事にする文章を月に10万稼いでそれを10年続けろ」これが出来たら釣りで食える様になる、とお教えをもらい、どうにか10年後には出来る様になっていましたね。

地方新聞の釣り新聞など掲載など、スズキの涙程度の時代。毎月の執筆を数こなし努力した10年も今となれば自身の宝になっています。

「つりトップMOOK シーバス全科」これはアングリングを読んでメーターオーバーのシーバスを釣りたくて由良川に向かった際、ローカルアングラーから仲間にされなかった事からのサーフゲームを開拓。

あの辛かったけどある意味いまとなれば「感謝」するローカルアングラーからのハミゴがその先に繋がる開拓心を作り上げさせてくれたのだろうと思って想いでを大切にしておきます。

学研を紹介して下さったのは、ライギョゲームのレジェンド新家邦紹さん。「感謝」です。私、シーバスも相当やり込んでいました。その前はライギョでしたね。とことんのめり込むのが私の性分。27年前の誌面紹介でした。次はもう少し新しい書物にしますね。(たぶん)

平松慶、業界デビュー作です。

【データ】
誌名:つりトップMOOK シーバス全科
出版社:株式会社学習研究社
編集長:中間弥寿雄
1993年(平成5年)11月1日発行

パタゴニア

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keitanhiramatsu