【13年の長い歳月も終了】私のガン闘病を振り返って。
朝8時半が私の問診予約時間でした。
いつもの通り1週間前にCT、MR撮影を得て血液採取。これを1週間後に主治医から診て診断してもらう日。
「毎年」になったのは8年目から。オペ後の化学治療4クールを終え退院してからは最初は2ヶ月に1度。翌年は3ヶ月に1度、そして半年に1度…と検査からの問診の周期も長くなり、10年で完治の言葉をもらっていました。
ただ、主治医との相談であと少し経過を見ましょうとなり、今年もまた苦痛で気の重い時期になってきたのです。
早朝、次男坊の弁当を作り、それを終えて病院に向かった。
実は今、あるTV番組の特番撮影をしてもらっており、今日も密着撮影。
朝から車内で問診前の気持ちを答え、病院前でコメント撮影、先生からの診断、そして検査結果を…と密着撮影は続きます。
撮影自体はどうにでもなるのですが、本題の経過が怖くて…。
「再発」や「転移」と言う恐怖はずっと退院から離れる事なく付き纏われ、病からの恐怖がどうしても解放されなかった。
この事実は実際に自分の身に起きないと絶対に理解出来ないと思うし、私はなるべく口にはしない様にしてきた。
ただ、この診察時期だけは恐怖に襲われ嫌な時間になる。何とか早く解放して欲しいと願うばかりで主治医のところへと向かったのでした。
密着撮影は今の心境などを言葉にしなくてはならない。簡単には話せない内容を視聴者にわかる様に伝えなくてはならなかったのが大変。
しかしリアルに私は今でもガンの恐怖と闘っている、と言う内容は話せたのではないでしょうか。
いつも通りに予約受付を済ませ、順番を待つ。定刻通りに私は呼ばれた。診察室に入る。
まずは今回の血液検査結果から細かく説明を受ける。数値に異常なし。
CTの映像になり、あまり観てもわからない映像と主治医からの解説に頷くだけ。
「全てキレイになっています。血液検査も問題ありません」と言われ、大きくホッとした。
そして次に言われた言葉が私には一番響いたのです。
「ここを卒業しましょう。」えっ?先生に聞き直した。「もう来年の予約は必要ありません。よく頑張りましたねっ」と。
それを聞き、なぜだか涙が溢れてきた。この年齢で涙が出るなんて…それも自分の事で。泣けてきたんです、なぜか。
もう来なくてよい、と言われ自宅から近くの総合病院に紹介状を書いて出しておく、と言われ…。嬉しかった。本当に嬉しかった。
大きな詰まる思いが、涙と共に溢れ出てきて主治医に言えた言葉は感謝しかなかった。
あまりにも驚き、喜びよりも達成感と言うか、開放感と言うか、そんな気持ちでいっぱいになり、涙は止まらなかった。
主治医にお礼を伝え診察室を出る。会計を済ませ、プロデューサーが持つカメラに状況を伝える。
しかし、何を話してるのか、何を話したのか、思い出そうとしても、出てこない。それ程嬉しかったのです。
長かった昭和大学藤が丘病院にサヨナラを告げ車に。
闘病生活の頃を思い出す。気が狂い、やけっぱちになりそうな事も何度もあった。その度に黙って支えてくれたのは家族。声を出して励ましてくれたのは仲間達。身体を戻してくれたのは海と柔道。
どれのひとつでも欠けたら、今まで辛い気持ちを乗り越えられていなかったはず。本当に感謝しかありません。
今ある命に感謝し、これからの人生をしっかり生きていこうとあらためて感じたのでした。
闘病期間、弱音を聞いてくれた方々、心から感謝しております。