【次男坊弁当作りも、あと半年‼️】冷凍食材に頼る弱さと柔道思い出を振り返る。

平松

【次男坊弁当作りも、あと半年‼️】冷凍食材に頼る弱さと柔道思い出を振り返る。

次男坊が中学生になったタイミングで始まった【オヤヂ弁当】。身体が大きくない次男坊にもっと食べさないと、と成長期に入る時に女房に突っ込んで口論となり「じゃあ、俺が作ってやるよ」と売り言葉に買い言葉で引くに引けない状況からのスタートでした。
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今思えば、うまく女房に乗せられたかなぁ、と思ったりして、時に女房にその時の様子を聞いてみたら「どうせ続かないだろうなぁ」と思っていたらしい。

外出も多い私なだけに、まあそう思われても仕方のない事だろうと自身も理解はするのですが、しかし発した言葉に「負けたくない」。意地でもやり続けようと決め、出張日早朝(3時過ぎとか)も休まずに次男坊弁当作りを継続してきました。

弁当作りの大変さは、世のお母様方(お父様方)全員に敬意をはかります。ほんと自身がやってみて、その大変さが身に沁みてわかりました。

どんなに眠くても辛くても疲れていようが酔っていようが、次男坊の学校がある限りお弁当を持たせてやらなくてはならない。

※中1の著者

私も中学生の頃に母が毎朝作ってくれていたお弁当の味は忘れていません。白米に染みた煮物の汁に、マヨネーズが付いていないお野菜、箸箱しか入っておらずシャープペンで食べた思い出も記憶しています。

おかずを唐揚げだけにして、と前夜伝えたのに、弁当の時間に蓋を開けると焼き魚やらソーセージが入っていて激怒した思い出、減量中(柔道部だったので)に前夜の天ぷらとか普通に入れられた事なども鮮明に覚えています。

中学、高校と母が毎朝持たせてくれたお弁当の味には絶対に近付けないのはわかっていますが、あの記憶があったからこそ、今も毎朝お弁当作りが出来ているのかもしれませんね。

80歳を過ぎた母に当時の事を聞くと3人兄弟で2才違いだった男3人兄弟分の弁当作りは毎朝が戦争だったよ、と言う。そうですよね…。食べ盛り(3人共に柔道をやっていた)の中高生が3人も居て、朝、晩も狂った様に食べさせてもらい、それで弁当持ちなんですから。

私は息子長男の時には全く作っておらず、完全に次男坊からの弁当作り。それもひとり。更には私の時代とは違い、弁当のおかずは冷凍物が豊富。
大型スーパーに行かなくても近所のドラッグストアへ行けば、バラエティーに冷凍物おかずが揃っています。こんなにたくさんの弁当のおかずの種類があるから、簡単に弁当作りは成立出来てしまう時代。

パタゴニア

ふと思ったのですが、お弁当自体の《冷凍物》があれば、もしかしたら重宝するかも…。簡単なオリに白米が入り、ふりかけなんかがかかっていて、唐揚げやらハンバーグの横に煮物があり、それを同じタイミングでレンチン出来る冷凍お弁当。

コンビニ弁当の冷凍版。もしかして、あるのかな?私は知らないのですが、そんな商品もコレから先に出て来たら私の様ないい加減な弁当作り手に喜ばれたりして。つい、脱線してしまった…。

今日も朝変わらずに弁当を持たせて次男坊を最寄りの駅まで送ったのですが、インハイが始まる前辺りから大学説明の冊子やオーキャンの知らせなんかが頻繁に届く様になってきました。専門学校の冊子はもの凄い量。

ゴミ出しのタイミングで次男坊に必要かどうかを確認しては処理しているのですが、ほんと毎日の様に色々なな学校からの冊子に溢れています。

それらを処分しながら「あと半年で高校も卒業なんだ」と。

中学生時期はコロナ禍で弁当作りが無いタイミングも多かった。柔道で高校へ進学しましたが、中学校は私学ではなく、地域の公立中学校。柔道稽古は平日(ほぼ毎日)から高校へ出稽古に向かい、高校の稽古が終わってからは所属道場と私塾柔道通いの日々。1週間全て柔道なんてのが通年。

中学校時代は全中に行けず県2位で関東大会止まり。その悔しさからだろうか、地方からの高校も多々お声をいただいたのですが、自宅から1番近い高校、を選択。

私自身の経験は高1の終わりに引っ越しがあり、最初は「星を見て自転車で通学し星を見ながら帰宅する」生活でした。それが、引っ越しをもとに公共機関を使わなくてはならなくなり、地下鉄での乗り換えで終点まで寝てしまったり、朝も早朝過ぎて冬場は辛い思い出ばかり。

地下鉄内で女子高生から手紙をもらった嬉しい思い出もあったけど、通学片道1時間は勿体無い時間だったと振り返る。

怪我をした時は最悪だった。高校まで母が迎えにきてくれたが、その後の松葉杖での通学は最悪で、そんな話を次男坊にしたのも懐かしい。

次男坊が通う高校は自宅から車で10分。自転車通学(本人は最初はその予定でしたが)距離で目一杯柔道稽古をしても、仲間の誰よりも早く風呂に入れて腹一杯メシを食べられ早く寝れるという環境が、もしかしたら中学校時代に果たせなかった全国大会(インハイ)出場に繋がったかもしれません。

しっかり稽古が出来る。 しっかり身体を休められる。 しっかりメシを食える。 しっかり寝れる。

高校スポーツに対してアスリートが必要な環境を作り上げるのも親の役目。

冷凍物にどうしても逃げたりする場合もありましたが、アスリートとしての小さな支えを弁当作りで出来たのは親として嬉しいかなぁ。毎晩、台所の流しに置かれた次男坊の弁当箱を開き、中身が空になっている時こそ、1番ホッとする。

あと半年しか次男坊弁当作りも無いのだなぁ、と思うと明日は焼肉ベースのおかずにしようか。オムライスなんかを朝から頑張ってみようか。

そんな意気込みを前夜に抱きながら朝は「チーン」が鳴り響く我が家の台所なのでした。あと半年。やり切るぞ、俺。

パタゴニア

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