活字がリアル。【湯を沸かすほどの熱い愛】映画で観た夜。
1ヶ月にどうだろう、平均でも4冊以上は文庫本を読む小説。放浪記モノからコラムを纏めたモノ、人気作品や下世話ネタモノまで歴史モノ以外はジャンルに拘らず読んでいる。
一般書店での購入ではなく、中古本屋のカゴ売りされている様なものを月にドサッと安く購入しては、ガサガサっと読み漁り、ソレをドカッと再び古本屋さんへ持って行っては次の本に…そんなスタイル。
最近、友人の結婚式披露宴に家族で呼ばれある方のスピーチを聞いていた時のこと。
「湯を沸かすほどの熱い愛」と言う映画を観られた方は会場にいらっしゃりますか?と挙手を求められたが、実は文庫本で読んで年末のBS放送でノーカットで放送されていたのを録画したままだったのを思い出した。
文庫本を読んでいたので内容は把握していたが、映像化されたものはまだ観れていなかったので家族3人で観る事にした。
宮沢りえ扮する母親が、末期の癌に侵され、余命を纏まりのない家族にたくさんのメッセージを残す…と言う、涙無しでは語れない内容。
女房、次男もアップテンポなスタートから食い入る様に内容に釘付けとなっていた。小生はしっかり活字で把握しており、次の場面、その先の流れ…と記憶を頼りに目で映像を確認する。
頭の中で把握している内容と、目から確認する内容とは、先にある活字からの情報が次に入ってくる映像の内容と相似させようとする。
ズレや変化が判断した時に『あれっ』もしくは『こう表現したんだ』と瞬時に納得し、次から次へと続く内容を追う。
映画による映像の表現と、活字から想像する表現。どちらも人の感情やその時の気分によって異なる事もある。
だが、あらためて『活字で先行した内容』の凄さは小生自身は大きかった。活字から得たデータは、時に読み返して作者の表現を確認したり、意味を理解しようとする。
今回、活字から【湯を沸かすほどの熱い愛】を読み、そして映像化された【湯を沸かすほどの熱い愛】を観た。
小生は活字で読んだ時に読みながら涙を流した。映像化されたものを観た時の涙は役者さんの表現(芝居力)を観ての涙。
ここで小生はあらためて『活字の凄さ』に驚き『活字の素晴らしさ』を感じた。
これからも「活字先行型映像確認法」を成立させひとつひとつの作品を楽しみたいと思ったのであった。