【3日間、至福を求めて】食べ続ける事で見えて来るモノ。これ小生のスタイルなのだ。
好きだ!と感じたらそれを貫く小生。それしか、見ない。それだけを貫く。これが小生のスタイル。
趣味であっても、食べ物であっても、旅先の国であっても、作家であっても、スポーツであっても。女性の好みまでもそうだろう、と思う。
『本当にそのモノを知りたければ、毎日毎回毎年食べなくてはその味や素晴らしさを語る事は出来ない。』
開高健さんの文庫本で得た行動に共感し今だに真っ当している小生。ファーストコンタクトだけでは、何もわからない。だから、食べ続ける。そして、やっとそのモノの味や風土や環境、歴史に文化が見えてくるのだ。
3日間、毎回同じ『鰻丼』を食べ、3日間、毎晩同じ『関西風味どん兵衛』を食べ尽くして、また来年も同じ事をしてモノの品格と品質に問いたい。前年も同じスタイルだった。その前の年も同じであった。3日間、ランチは『鰻丼』を徹底的に食べたのであった…。
《2016年2月14日投稿いいぶさ日記「気合いで大阪へ!」》
『どん兵衛』に品格?ランチの『鰻丼』に質?あるんだよな。見えて来るんだよな。食べ続けてたら、それらが(笑)
今日の【いいぶさ日記】はそんな「大阪食い倒れな昼と夜」を送った様子で更新します。
●『鰻丼』であれば。
昼はオフィスビルの合間にある居酒屋さんはランチ時間に伴い、定食メニュー中心に営業されている。問屋様の展示会時は毎回この居酒屋(定食屋)の食券がランチで配られ、好きなモノを頂けるサービスがある。
問屋様のイベントには4回お邪魔させてもらっており、今年は3日間であったが、昨年(昨年は小生インドネシア取材にて不在)までは4日間のイベントであったのだ。
12時になると周囲で働く人々が昼食時間となり辺りは一斉に人で溢れる。その時間帯を避ける様に14時近くに小生はいつものお店に向かった。
お取引先様と一緒にいったり、同業者の方とご一緒したり、それぞれだが、基本「ひとり」でノンビリ食べに行くスタイルが好きな小生。
例えば仕事後のほんの一杯のお酒でもどちらかというと「ひとりで飲みに行く」のが好き。
自身の財布と相談しながらリーズナブルなものを好みたいし、その場面で食べてみたい、飲んでみたい、そんな「直感的気分」を優先したいのだ。
そしてそのお店が気に入ってしまえば、小生の性格で「必ず翌日(予定がなければ)もそこに行く」のがスタイル。
同じお店を2日も3日も通うだなんて絶対におかしいよ。他のものも食べたくないの?そんなことを女房に言われた事が有る。
あれもこれも、当然食べてみたい。それはわかる。
しかし、先日に気に入ったものを「もう一度味を確認したくなる」性分で、どうしても「美味かった」と思う状況を確認し続けたいのだ。
沖縄での晩ご飯時もそうだし、対馬でもそう。福岡でも伊豆でも外房でも座間でも南林間でも町田も相武台でも、とにかく「ここに通うことで美味いを絶対的なものにしたい」のだ。
今は極端に回数も減ったが、自宅から徒歩5分にある「やきとり大吉」に毎日通った事があった。
通い続け、徹底的にメニューを身体で覚え、どの酒にどの串が合うか。どの部位とどの焼酎が本当にうまく感じるか。そんなことを試した時代が5年程あった。
ある時「大吉に毎日居ますよね」と近所の方に言われたのをキッカケに行くのを止めたが「座間湯 湯快爽快」で大吉の大将と会うと、また行きたくなってしまうのも性分。
そういうスタイルが小生の行動パターンであり「これを知りたい。この味が気に入った。このものを追求したい」となるとトコトン、になってしまう。
最近の「トコトン」は鶏肉をガスグリル(魚焼き機)で調理する自宅飲み。
これに徹底的に凝ってしまっている。鶏肉はモモ肉もムネ肉もどちらも意識して食べ比べるのだが、ガスグリルで焼く際にどんな味付けをすれば、どの部位とベストマッチするのか。
味噌は白も赤もミックスも、醤油、ジンジャー、ガーリック、焼肉のタレに市販のペペロンチーノの素、味の素の友達のMASAKOも付けてみた。塩だけもやったし、それを豚肉の安い部位でも最近はやり始めている。
家族はその味を楽しみにするよりもどうやら最近はあきれ果てているのを感じている。しかし、徹底的に付き合ってもらい「これ、美味い!」と次男が叫ぶまで作り続けるのだ。そのスタイルが「ひとつの食材に拘る小生の姿」であり、これをやり続ける事で「品格や品質」を自身の中で完結させているのであろう。
「鰻丼」の話しから大暴走してしまったが、一昨年の同じ大阪出張時の【いいぶさ日記】を偶然読んでいて笑えたのだ。それは見事に嘘の無い、正真正銘の「3日間鰻丼食べ続け証拠」が出て来たのだ。
熱があろうと、前夜飲み過ぎて二日酔いであろうと、どんな状況でも同じスタイルを貫いていた。そして今年も3日間食べ続けて感じたのは「少し脂が少ない年(収穫)なのかな」という寂しさであった。
たったこれだけ。
でもコレだけを感じられるのは嬉しいもの。来年も間違いなく食べているはずだから、この【いいぶさ日記】にしっかりと載せておきたい。
●『どん兵衛』であれば。
夜、ホテルに戻り湯沸かしポットに水を張り、熱湯を準備する。沸騰するまでの間にビニールをとり、蓋を広げ、お揚げの上に粉出汁を盛り、完璧な準備態勢を整える。
湯が沸いたら、お揚げの上に盛られた粉出汁目掛けてゆっくりと注ぐ。注ぐ線が描かれているので絶対に守る様にする。そして3分ジッとして待ち、頃合いをみて蓋を全て取り頂く。
たかがカップ麺。
でもそれまでこの「どん兵衛」で様々なことを試して来た。京都の義母にお願いして「関西風味のどん兵衛」を段ボールで送ってもらい、関東で購入した「どん兵衛」と二つ列べて食べ比べた事もあるし「麺カタ」「麺柔らか」も試したりした。
そこでいくつか感じる事が発生し「麺はそれほど違いが無いと感じるのにお出汁が異常に違う。この残り汁でオジヤを作ってみよう」と両方の残り汁を別鍋にオジヤにして食べてみたら、やっぱり「関西風 どん兵衛」に勝利が出たのだ。
ここでひとつ、自身の味覚について考えなければならない。
関東出身者の方には本当にここまで申し訳ないと思いながら身勝手な味覚を強調した文章を作り上げ、反省せねばなるまい。
関西出身の方は「しめしめ。もっともっと書け!」的追い風を送ってくれているかもしれないのだが、小生の味覚を脳に与え続けて来た、いや味の味覚を洗脳して来たのは「名古屋」。
関東(東京〜神奈川)でもなく、関西(大阪〜京都)でもない。その間の最大なる微妙都市、にゃぁ〜ごや、であるのだ。
だからどちらにもジャッジのしない、中間地で味覚を洗脳されて来たのできっときっと、この味覚ジャッジは公平ではないのだろうか、とタマに思うのだ。
「とことん関西風 どん兵衛」を食し、その絶妙な「お出汁文化」を口いっぱいで感じ「醤油先行型優先色な関東出汁」との食べ分けをしたいのだ。
それをし続けて来て、本場の大阪滞在。空気も水も街も言葉も全て「関西」なのだ。
関西ど真ん中で、大阪で購入した「どん兵衛」を食べ続けられることへの幸せと義務、それが「どん兵衛事情」の「品格や品質」を自身の中で完結させているのであろう。そう括りたい(笑)
何だか、何がいいたいのかどんどん文章を作っていながら分からなくなって来たのだが、これだけは分かっている。
「平松慶、コレ!と思った事は、トコトン。」な男なのであるのだなっ、ということ、でした(笑)