2/5【熱田神宮へ勝利祈願】中学生の頃は遊び場だった、懐かしの場所。
Facebookにも投稿しましたが、熱田神宮様近くのホテルにチェックインをした小生ら3人は霧雨の中、徒歩で熱田神宮様へと勝利祈願、安全祈願で参拝しに行くことにしました。
熱田神宮様は、小生が小学6年から高校1年まで住んだ瑞穂区からチャリンコ(名古屋弁で言えば、ケッタマシーン)で行ける距離であり、それこそ血の気の多かった、
いやいや元気がいっぱいあった中学時代なだけにここ熱田神宮様周辺のゲームセンターへ来ては、他校中学生らと揉めたり、まあ分かりやすく言えば、ケンカをド派手にやったり、県営住宅の屋上でワルさをしてみたり、と青春時代真っ盛りな場所であったのだ。
熱田神宮のお祭り時期などは当時の彼女とドキドキしながら手を繋いで参拝した思い出もあり、淡く胸キュンが香る街でもあったのです。
下記の枠囲みは、Facebookに投稿した際の文面です。
※【勝負祈願】
気持ちよく柔道が出来、怪我の無い平成最後の試合直前に、熱田神宮様へ。ここは、中学生の頃に奉納試合で屋外試合した場所。
また、我が家のニワトリ『ブッチャーとピヨ』を黙って逃した場所。田●中学、熱★中学、沢△中学、宮?中学、とケンカした場所。
懐かしい場所にて、雨の中参拝してきました。
明日は『愛知県武道館』。小学生最後の大きな個人戦。頑張ってね。※
ここに登場している「ブッチャーと、ピヨ」とは、ニワトリの事と説明しているが、小生の自宅はニワトリ3羽にセキセイインコが150羽、ウサギが2羽、雑種1頭にシャム猫という、我ら動物家族並みの生き物万歳な家庭であったのだ。
その際、ニワトリでも特に凶暴であった「ブッチャーと、ピヨ」は共にメスであり、毎日家計を助けることはタマゴ産みでお返ししてくれていた。
しかしハコベや大根の葉を近所の空き地やスーパー、また小学校の給食センターにもらいにいく事が非常にめんどくさくなってしまったのだ。
夏の「熱田まつり」で当時はひよこが売られており、どうせオスだろ!と決めつけていたひよこ3羽のうち、なんと2羽が偶然にもメスであり、食材確保業務を毎朝してくれることで大切にして来たが「クックルクックックゥ〜」の朝4時お叫び業務がさすがに下町でもウルサい、ということになり、購入した場所へ戻す事になったのだ。
名古屋、いや、熱田神宮様の昔しを知っている方なら分かると思うのですが、熱田神宮様はニワトリがやたら大量に昔は野放しにされていた。これ、本当です。
それを知っていたので、かの日本画家 平松礼二画伯は「熱田さんにお還ししたら」といったかどうかは定かではないが、なぜだか家族相談今後計画として「ブッチャーと、ピヨ」を熱田神宮に逃がすこととなり、小生が麻袋に「ブッチャーと、ピヨ」の2羽を入れ、チャリンコのカゴに載せて運んだのを覚えている。
2羽ずつ手に取り、そしてブッチャー、ピヨ、共に力強く茂みの中に走っていく姿が記憶から離れない。手から離れた瞬間の感触は今もしっかりと覚えている。それほどの重要任務を小生がここ熱田神宮様で行なったのだ。
そんな思い出深い平松家由緒ある場所?が熱田神宮様なのだ(笑)
女房と次男にそんな話しをしながら歩いて熱田神宮の大境内まで向かう。
「本当にニワトリなんていたの?」完全に疑う女房。次男は池はあるのか?コイはいるのか?釣りは出来ないのか?とかなり跳んだ内容を質問してくる。
小生が小学生当時、熱田神宮にはたくさんの野放しされたニワトリは、いた。小生が小学6年生だから(次男と同じ時期だっ!)今から37年前か…。
名古屋在住の方でしたら、きっと覚えていますよねっ。熱田神宮様に野生化したニワトリがたくさん居た事を(笑)
さて。
我が家は本堂へと向かい、勝利と安全祈願をする。ゆっくりと頭を下げ、二拝し「ケガの無い様に。パフォーマンスを出し切れる様に。」そう願い、熱田神宮様を後にしました。
(小生が中1の頃。身長168cm.体重79kgだから、相当大きな中1だったのがわかる。横は母親。オカン初登場)
「ブッチャーと、ピヨ」の子孫にはあう事は出来なかったけど、久しぶりに熱田神宮様の境内前に立ち、頭を下げる事で物凄いエネルギーを胸に感じる事が出来た。
今年で最後の「ひのまるキッズ東海大会」。頑張ってもらいたいなっ。 3/5へと、この後も続きます。