【ゆく年くる年 2021〜2022 謹賀新年】年末年始は、30年ぶりに京都で。

よもやま話

【ゆく年くる年 2021〜2022 謹賀新年】年末年始は、30年ぶりに京都で。

22歳大学4回生の冬、変わらず漬け物屋《西利》のアルバイトをし、夜は警備員として亀岡高校の宿直室で一晩明かす、と言う生活を送ってきた。

宿直室のバイトは、普段は柔道部員が交代で入り、柔道部寮費のために使われていた。しかし帰省時になると、誰も暮れや新年にひとりで亀岡には居たくないと…。解散(帰省後)から集合までの期間は宿直室バイト代も上がり、個人のバイトになっていたので、私は入る様にしていた。

一晩寝て、決められた時間に校舎内を回り(怖くて一度も回った事はない…)12000円だったから、ガッツリ稼げれたのだ。まあ、奇妙な体験も相当しましたが(笑)それは、また別の時にでも。

そんなバイトをしており、大学時代の亀岡市生活は色々思い出もあったのだ。

だから、今回30年ぶりに亀岡市で過ごす年末年始はやる事も多かった。

一番最初に訪れたのは、義理父のお墓。コロナ禍により、実家にも帰省出来なかった事への謝罪や、子供たちの成長を仏様に報告。また、先祖お墓にも供養が出来、亀岡実家へ。

大学時代からの柔道繋がりで女房の恩師と忘年会を兼ねたご挨拶も出来、胸の詰まりも少し楽に。有山篤利先生には、柔道だけでなく他の事でもお世話になったので、どうしてもご挨拶しておきたかったのだ。

昭和な考え方や生活時間を話し、平成の柔道指導法、令和の新しい方向性など、和暦3期に渡り柔道指導や中学校部活動へのご指導などをいただけた。

『カムカムエブリバディ』みたいに、時代背景と思想論を照らし合わせた会話は、最高にわかりやすかったのが2021年ラストの宝物。

翌日は、京都の台所《錦市場》へと。

暮れの混み合う錦市場、正直憧れであった。色とりどりの食材、伝統文化が用いた食べ物など、中部地方や関東ではみられない文化を感じとれ、その空間に居ただけで嬉しかった。

パタゴニア京都ストアにも顔を出し、来年に繋がる話も出来たのも良かった。

31日は、供養で回れ無かった場所に動く。柔道恩師は二人とも他界されたが、コロナ禍で大晦日に仏前とも行かず、私がお世話になった大学柔道場、柔道部寮跡地2つ、所縁の場所などを回ってきた。

パタゴニア

近くの寺院で手を合わせ、これまで来れていなかった無礼に頭を下げる。

大晦日だから、田舎は車もない。変わらない曽我部町をみて回れた。夜は、紅白歌合戦が映る中、義理母、弟と鉄板焼き。実家で軽く飲み、年を越す前には布団へ。

夜が早い家なだけに、静かに年を越したのでした。

夜から降り出した雪は、積もり出している。朝起きたら…心配がかなり大きかった。帰れるのだろうか。webで確認すると高速道路は、所々で通行止になっている。困ったぞ。

朝、新年のご挨拶をして、お雑煮をいただき、さあ帰るぞ。新名神はやはり三重県で降ろされる指示が出ていたので、名神で名古屋まで。

名古屋からは、新東名が事故渋滞、やはり色々と帰省ラッシュに絡んだ渋滞が始まってるんだと。それこそ30kmの渋滞は神奈川県に近付くと発生してるし、ヒトの動きも強烈なんだ、と実感。

ゆっくり休憩をしながらの亀岡実家から帰宅は8時間以上かかった。愛犬も連れて行ったので、なるべく多く休憩を取り、運転疲れはしたけど、事故なく帰省は終わりました。

こうして30年ぶりの年末年始京都帰省。今年は、長男の結婚も予定しており、先はどうなるかわかりません。でも仏前でお線香を焚き、合掌する事をたくさん出来たので、身体の疲れではなく、心の重さはスッと楽になった。

御先祖様や仏様になられた方々への供養に手が合わせられたのが、最高の時間だったと思います。

2022年1月1日、初夢は義理父と楽しそうに話している私の姿でした。

今年一年、皆さま宜しくお願い致します。

パタゴニア

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