【丹後半島の釣り仲間から海産物が届きました】由良川が繋げたアングラー。

グルメ

【丹後半島の釣り仲間から海産物が届きました】由良川が繋げたアングラー。

仕事が20時に終わり、終礼をして解散になる。会社から自宅までは車で3分。急いで帰宅し車のトランクに放ったらかしにしているウェーダーを確認し水筒に温めたお茶を入れ国道9号線を北上する。

途中の釣具エサ屋で最安値のおにぎりを購入して、再び走り出す。いくつもの峠を抜け、道中飛び出してくるシカやタヌキに気を配りながら走り、178号線に出るとミカン売りの幟旗をチェックするのが日課となる。

風が向かい側から吹いていたら、こっちに入ろう。追い風ならあそこだな。由良川に沿って走りながらこの日入るポイントを考えて運転。

自宅から2時間ジャストで由良川海水浴場の駐車場に到着すると、他車の数を確認。平日の夜中に近い時間なだけに、まず車は少ないが一応誰か入っているのかは知っておがなくてはならない。

11フィートのパームス サーフスターかスミスのブローショットか、どちらかを選ぶのはその日の気分。リールはPENN スピンフィッシャー550SS。もしくはダイワのトーナメントEX。ラインはダイリキ16ポンド直結。これが私のタックル。

「けい君、今日は向かい側だなぁ」とどこからともなく現れていつも声を掛けてくれるのが、松本正典さん。由良川周辺のスペシャリストで、どんな釣りにも精通していた方だ。

1992年頃、1週間で3〜4日は由良川河口に入っていた生活の私。誰からも狂っている…と言われていた頃です。当日《キタガワ フリーポート洛西》という釣具店に勤務していて、お店はシーバスストアになるほどだったと今でも思っている。

京都1タックルハウスのK-TENミノーを揃え、フィールドの情報量と経験値だけは絶対に負けないと頑張っていた時代。後にオフショア製品が更に充実していくのですが、その前の話です。

同じ京都エリアには《ポパイ》さんという化け物バスショップがあり、ルアーマンを差別化したかった思いもあり、当時頑張っていた懐かしい思い出があります。

その頃にフィールドで知り合ったのが、松本正典さんだったのです。

松本さんは与謝野郡岩滝のひと。海は目と鼻の先。知り合った当時はショアゲームが中心で、丹後半島のショアゲームは特に精通されていました。

お店の拠点は《フィッシングナカジマ》さん。今の店ではなく前の店で、やはり日本海のルアーゲームをリードされていたショップさんでした。

ナカジマさんの常連さんが由良川河口の巨大シーバス狙いを作り上げ、スペシャリストなローカルアングラーをたくさん育てていたのも大切な歴史です。

そのグループに松本正典さんもいて、まだ20代前半の私によく声を掛けてくれていたのでした。

パタゴニア

【釣りサンデー】という雑誌からフィッシングビデオ(VHS)発売になり、そのビデオ撮影でフィールドガイドをしてくれたのも松本さん。

経ヶ岬のてっぺんから岬先端まで歩いて下り、完全ボーズだった思い出。私がショアからヒラマサをメタルジグで狙っていた頃。カメラマンは「2度と経ヶ岬ロケはしたくない」と言い切っていた。

また天橋立周辺でのルアーで小物釣りや、伊根の舟屋で初めて日中にアオリイカをエギングで釣れた映像を残させてもらったのもこの頃。当時エギングは夜の釣りがお決まりでしたからね。

エギングでアオリイカは夜しか釣れない、と言われていた時代です。それを打ち破らせてもらったのも、ガイドの松本さんからのポイントアドバイスがあったから。

付き合いは本当に深くさせてもらっていましたが、1995年に私が拠点を京都から関東に変わってからは年賀状程度の情報共有となり、SNSのこの時代に再び繋がったのでした。

「普段けい君があんまり見らんものを送ったで」と荷物が届いた際の連絡で言ってました。

マンボウやらババア(正式名称:タナカゲンゲ)やら。確かに普段まず食べない食材ばかり。松本さんらしいセレクトです。

ババアを検索してみたら、日本海側の漁師さんらが呼ぶ名称で、私自身初めて。マンボウはネギと串に刺してくれていて焼き鳥風に。ババアは揚げて頂かせてもらいました。


※ババア、をググったら、こんな画像が出てきました。


※マンボウの串焼き。今回は、お塩と胡椒で頂きました。


※ババア、の揚げ物。モチモチして美味しかったです。

松本正典さん、有難うございました。その夜に長男夫婦と海産物パーティーして楽しませていただきました。感謝です。

パタゴニア

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