【炎の乱取り祭り 12月】靭帯損傷復帰から初の乱取り。4分×21本に忘年会。
この日次男と私は別行動。次男は中学生合同練習試合会で群馬まで女房といっており、私はひとり八王子へ。同じ道場の名生(めお)先生に車に載せて頂き、いつもの【炎の乱取り祭り】会場へと。
今日は完全にひとりだったから、久々に乱取り出来る事もあり「定められた乱取り本数を全てやり切りたい」これが目標。
だから、日本工学院八王子専門学校の柔道場に入り着替えたら直ぐにアップ。10時からスタートとなった4分刻みの乱取り稽古。祭りは始まったのだ。
私は小学生、中学生、高校生らと本数を重ねながら、休まずに全ての回に畳に立つ様にした。普段なかなか乱取り出来ない道場生ともやれたし、熱く指導している中学女子とも重ねて続けた。
1本目から休まずに乱取りを続け、どうだろう…17本目くらいでまず最初のグラつき(疲れ)を感じた。でも目標は「ラストまで」と決めた以上、何が何でも激しくやってやろう、それだけに集中しての乱取り稽古であった。
20本を越えた。あと2本。次は誰にお願いしようか…と考える間も無く、次男をご指導下さっている相模原の先生からのお声がけで乱取り開始。しかし、メチャンコ強い。
私自身は弱いのだが、これまでたくさんの「強い柔道選手たち」と乱取りをしてきたが、天を指導してくださっている先生の方が迫力が違うと感じた。
柔道が好きだ、と乱取り開始してすぐにわかる迫力ある組手や技出しに耐えるだけで必死。
しかし1分。これまでの高校生らとは全く違う動きを自身がしたので身体はびっくり。胃から何かが逆流して乱取りを停めようとする。いわゆる危険信号。
「父ちゃん、やめて‼️」とシグナルを感じ、そこでストップさせていただいた。 情けなくも、これが50歳。
靭帯内側損傷から復帰し、アップもしないままでそもそも指導者の先生と乱取りをした事自体が相手に失礼だ。反省です。
「これ(22本)でラストです。」宮本功三先生が発して2019年『炎の乱取り祭り』も終わりとなった。
21本連続での乱取り。十分に、満足させていただきました。感謝です。
ただ、思い起こせば今年一年は、散々な柔道だった、いや雑な柔道だったから試合にも負けたし、大きな怪我もした。そんな一年だったと振り返る。
勢いだけでエントリーしていたベテランズ 。練習もやってないから、当然負ける。夏も練習よりも指導中心で中途半端だった代償が内側靭帯損傷。
日頃の行い、考えが浮き足立ったり、違う事で頭がいっぱいになっていたから、だろうと自身は分析出来ている。
B審判ライセンスなど、指導者側での果敢な実行は前向きで良かったが、仕事面との両立、プレイヤーと指導者との意識の変化も来年は更に考えながら柔道貢献に努めたい。
炎の乱取り祭りが終わり、この日は細やかな忘年会も乱取り後にJR八王子駅周辺で開催。日頃、柔道乱取りで通じた仲間の方々や他エリアの指導者様との交流は、たくさんの学びになる。
練習後のアルコールの旨さも宛らに指導者がこれからどの様に減少し続ける柔道人口を食い止めるかなども話す時間が持てて、飲み過ぎてしまったが良い時間になったと思っている。
今年もあと僅か。
年内、何度柔道衣を着る時間があるか、カウントダウンだが、1日1日を大切に柔道と向き合って年を越したいな。