【アングリングvol.110〜ますますパワフル】1996年1月1日発行
昨夜「緊急非常事態宣言」解除が始まった。私の住んでいる神奈川県はまだ先になりますが少しずつ日本も日常生活再開に向け動き出しました。明るい兆しです。
しかし新型ウイルスの恐怖は常に付き纏っています。神奈川県は今だ発症者が継続して出ており『特定警戒都道府県』から外れていません。もう少し我慢と苦痛の自粛をしなくてはなりません…。
とは言え、生きていかなくてはなりません。自粛、自粛と言って下を向いてばかりでは死んでしまいます。だから前を向いて歩いていくしかない。今やれる努力を続けていきますね。
さて、今回は1996年のお話し。本誌が発売された頃…。結婚はまだしておらず、京都の釣具屋さんで小僧生活をしていた頃です。奄美大島やトカラ列島に通い、遠征中心の生活になってきた時期だなぁ。釣りの為に生活している様な毎日でしたね。
釣りで海外にいく…。この茂木陽一さん著のパプアニューギニアへの釣行記は私にとって初めての海外遠征でした。当時、ロウニンアジへの魅力がどんどん盛り上がるばかり。国内で楽しむGTゲームから更に欲は増し、もっと遠くへ、その先に…の夢がこうしてカタチになった最初の釣行です。
ベテランの茂木陽一さんが立案からツアー代行等全てやって下さり、私は付いて行くだけのオンブに抱っこをしてもらってのツアー。PEラインを使ってのGTキャスティング。更にシングルフックのバーブレス…と言う、1995年秋の時点(釣行時)でこの様なレギュレーションを設け、新規開拓されていた先輩の凄さに尊敬しかない。
毎日を「遠征の為に」と今妻である女房とも外食を控え、徹底的に貯金し全財産を釣行費用に費やしていた。食費を削り、オールドタックルなどコレクションを売りさばき、ひたすら現金を作りポッパーやリールの準備をした。
日本に初めて3台入ってきたバンスタールの1台を購入し、このパプアニューギニア釣行に持参したのをよく覚えている。GTルアーがなかなか手に入らなくて、日本中の問屋さんに連絡をしたのも懐かしい。
釣具屋勤めだったから、釣具は3割減で入手出来るのは職権乱用だったかな(笑)パプアニューギニアでの思い出は、ポートモレスビーまでは問題なく飛んだのだが、その先の国内線はもうめちゃくちゃであり、帰りの日が大幅に遅れた。
同行した仲間のひとりが医者であり、帰国した当日にオペだ、なんて言ってダッシュで帰られたのもしっかり記憶しています。
私の海外遠征は、ここからスタート。茂木陽一さんの背中をみて海外遠征にハマり、その後の私がいます。当時釣りのデータは何もなし。今の時代、ネットでググれば何でも調べられる時代です。しかしその頃はガイドブック1冊探すだけでも大変な苦労でした。
アングラーよりもダイバーの方が世界へ旅立っている環境からダイビング雑誌や関係者から秘境を調べ、実際に向かう。こうして当時の釣行は組まれたと聞きました。そのバイタリティーの素晴らしさは今も変わらない茂木陽一さん。
尊敬する先輩が作り上げてきた釣り歴史はこうして我々アングラーが今不自由なく動けている証だと知ってもらいたい。
緊急非常事態宣言が解除され、世界的に行き来する事が再び出来る様になれば歴史を思い起こす事も少なくなるだろうが、私は文章で残しておきたい。
当時、先輩方の試行錯誤、探究心、行動力があったから、こうして世界中に釣りに行ける。世界中に釣り歩けるきっかけはこの時代から歩まれていたのだ。感謝ばかりです、と。
はやく日常生活が戻る事を切に願うばかりです。
【データ】
誌名:アングリング vol.110
出版社:株式会社廣済堂出版
編集長:真弓 誠一
毎月10日発行
1996年1月1日発行