【釣りキチ三平、ずっと大好きです】有難う、矢口高雄さん。
その訃報を知ったのは、iPhoneを触っていた最中にYahoo!NEWSでトピックに上がっているのに目が止まった事。
小学1年生で海はハゼ釣り、淡水はフナ釣りを覚えた。
地元にあった沼は、摺鉢状の沼と言われ、両親から絶対に近寄るな、とクチ酸っぱく言われ続けていた沼。絶対に行ってはダメ、と言われたら、必ず隠れて行ってしまう。
自転車で40分。当時の自転車行動範囲としては、それほどの距離では無かったが、親に嘘を吐いたり、隠し事をしての申し訳ない気持ちよりも、人よりも神秘な場所、知られていない釣り場、そこに対してのはち切れないばかりの鼓動が鳴る思いしか無かった。
その沼の近くには、更にライギョが生息している、と人からの便りで知っていた地蔵川(今もあるのかなぁ…)。同級生の親が和尚さんで、夏休みなどに魚捕りが大イベントであった。
私も一緒に連れて行ってもらい地蔵川に入り、落ち葉を取る時など、お寺で重宝していた「竹編代箕」でガサガサをすれば、フナにうなぎ、ナマズにザリガニ、とそこは私達にとって最高の楽園。
コンクリートで固められ、天井はアスベストが塗られた冷たい教室よりもずっとずっと学び多き場所であった。夏場に入った池の埋立あと地で湿地帯のそこは、たくさんのカワムツやモツゴ、沼エビが生息しており、一面に生えているキンギョモを藻狩鎌で取ってセル瓶や仕掛けを投入した。
藻刈鎌のカタチがわからなかったが、主人公が三日月湖でヘラブナを釣る様子を思い出し、自宅近所の空き地で鉄クズを集め、強いヒモで結び、藻刈鎌を拵えた。
仕掛けを入れる場所に寄せ餌の味噌とパン粉を練った物を入れておき、セル瓶で水中の様子を確認する。
あの当時、何かを「学ぶ意識、好きな事への興味と集中」は相当なるものであった。
魚種もたくさん覚えた。「ルアー」と言う擬似餌を知り、わからないなりに毎週の様に釣具屋へ行き、ガラス張りの中に陳列されていた舶来のルアーを眺めては、胸を踊らされたのであった。
中学生になると、柔道で毎日の生活が変わり、いつしか釣りから離れる様に。再びバイブルを手にしたのは、頚椎の極突起を切除し上半身から首を固定され、1年間動けなくなった私であり、釣りを辞めざるを得なかった状況になった柔道の代償を背負っての、再開。
慶は本当に【釣りキチ三平だね】…だなんて、親戚や仲間から小学生の頃、いつも言われていた。クリスマスプレゼントも、お正月のお年玉での購入も、そして私が柔道場に入門する流れとなったのも、全て「魚釣り」。
「釣具を購入してあげるから」と親と約束条件をされ柔道の門をくぐる事になった。皮肉にもその柔道で怪我をして、再び生きる夢を見つけたのも「魚釣り」であり、矢口高雄さんがキャンバスに描き続けてきた釣り漫画のおかげであった。
安らかに、とか冥福を祈ります、とかたくさんの言葉はある。しかし「釣りキチ三平」は私の中ではこれからも変わらないバイブルであり、フッとした時に気持ちを戻したい時の教科書。だから、終わりなんてない。
でも『感謝して、おります。本当に有難うございました。お疲れ様でした。ゆっくりおやすみ下さい。』と深く礼をしたい。