東日本大震災から、1年が経ちました。
今朝、いつもの様にコーヒーを飲みながら各メディアに目を通すと、震災の報道がどこからも
飛び込んできます。
「あれから、1年か。」
神奈川県も、当然揺れ、Goldicでも震度5の揺れでした。
お店には、スタッフMidoさんがいつもと変わらない営業をしていてくれ、何も構えなく、変わらなく
過ごしてくれていました。
地震は、いつ襲ってくるのか分かりません。全く、わかりません。
私は、関西で起きた関西大震災も、体験しました。その時は、京都で生活していました。
震災後、ライフラインは全て止まり、それまでの生活を大きく変え、潰し、焼き付くし、それは
それは、恐ろしい時でありました。
昨年の東日本大震災も、津波で全てが無くなりました。
天災、だから…なんて言えないくらいの苦しみm悲しみが日本中を覆い、そして2次3次へと広がる災害。忘れては、いけない。と強くキモに命じたことを思い出します。
私は、東日本大震災の直後、癌の摘出手術後で、点滴をしながら部屋で安静にしていました。
確かベッドの上で、macの本か、インドネシア語の教科書を開いていた時だと思います。
ベッドを突き上げる様なもの凄い揺れ、そしてナースセンターでものが棚から落ちる音が聞こえて
きたのを思い出します。
「避難出来る方は、非常階段へ!!」看護婦さんが廊下で叫び、動けるひとから1回の駐車場へと
避難して行きました。
私は、点滴棒を持ちながら、廊下に出ると、隣の部屋の女性も動きにくそうにしていたので、
その方の点滴も持ち、一緒に非常階段を下りる姿は今も脳裏に焼き付いています。
2度目の大きな揺れが起こり、ただでさえ不安な入院患者の顔がみんな見る見るうちに悪くなったのは言うまでもありません!
30分はど何度か余震があったので、ずっと駐車場で避難。寒かった。
昨年の震災時、小生は入院しており、こんな状態でありました。
その後、病院内でも計画停電が起こり、不安な夜が何度か続きました。お見舞いに来るにも
ガソリンが入手出来なく、携帯も繋がりにくく、神奈川でもこれだけの不十分なことだった。
…それを考えると、被災地は。
1年経ち、復興への応援もさらに力が必要だと思います。これからも応援を続け、そして
忘れては行けない3月11日にしなくてはならない。と今日あらためて強く感じたのでありました。
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