【神奈川県スポーツ少年団柔道交流大会】審判でお手伝いしてきました。

柔道

【神奈川県スポーツ少年団柔道交流大会】審判でお手伝いしてきました。

『三連休は、都心で積雪の予報です』試合に出場する次男と女房は神奈川県立武道館(以後、県武)への道中を心配しながら天気予報をチェックしていた。
大雪とまでは行かなくも、雪が積もると交通状況が悪くなり動きにくくなる。渋滞だけならともかく、鉄道などの公共機関もマヒしてしまうのが一番つらい。
都心だけでなく横浜市内も同じ様になってしまうのでどれだけ寒くても構わないから、雪だけは積もらないで、と小生も願っていたのであった。

午前7時。雪は全く無く車で県武に向かう事になった。
3連休の最終日。行きは道路事情もそれほど混む事は無いだろうと思ったが帰りは覚悟かなっ。どうなるのか行きは気にしないでとにかく県武に向かったのであった。

県武まではスムーズに行け、予定通りに到着。小生は審判やらのお手伝いがあるので先に道場に入る。
団体戦と個人戦とあり、まずは団体戦の準備。上席の設置も終わった頃に選手や父兄の方々が入って来る。選手らのアップが始まるといつもと変わらない試合の雰囲気になる。

小生は団体戦2試合、個人戦は小学4年生男子、中学女子の決勝までを行なってきた。以前に比べたら選手の数がグッと減ったと見てわかる程。少年柔道の試合も多いので参加する事自体を間引いているかもしれないが、それにしても少ないなっと感じてしまった。

審判は4審制(ジュリー含む)を4人で回すのでずっと審判をしている事になったので自道場の生徒が活躍する姿は全く見れなかったし、柔道有段者の父兄も3人中2人が係員で出て、団体戦はどうにかチーム監督をひとりのお父さんにお願い出来たが、個人戦は誰一人としてサポートについてあげられなかった。

これが自道場の現状であり、ある父兄からは指導者がうちには少な過ぎる…とクレームじみた事も言われた…。
ホントに小生もそう思う。ご父兄からの意見を聞き、小生が道場のお手伝いをするきっかけを思い出してみた。

同じ思いから始めた指導のお手伝い。これがきっかけで柔道指導者講習を受講しライセンスを取得した。
現在はライセンスを更に上級へと目指し日々指導の勉強をしているが、生徒(競技者・プレイヤー)の減少と指導者の質の向上を今しっかりとやり、これ以上少年柔道が衰退しない様に我々の様な指導者がもっと学び努力していかなくては、と痛感した。

これが15年前だったら…。15年前とは長男がちょうど小学生の頃。
道場は生徒が溢れんばかり。試合場に行けば、それこそ迷子になってしまう位の競技者。15年前に、今の様な指導者カリキュラムがしっかりと我々のような末端まで広がり、組織作りがきちんと出来ていたらなっ、そう思ってしまった。

15年前か…。たくさんの問題がそれから現在まで柔道界で起こり、全日本柔道連盟(全柔連)からの改革で今がある。
『タラレバ』的話はしてはならないが、しかし、もし、ひょっとして、15年前に今の様な指導者組織や環境配備、等が出来ていたならば、もっと競技者は存続していたのでは?と渋滞がなかった帰りの車中で運転しながら考えてしまったのでした。

当時が悪い、ということではなく、当時が今の様であれば、今はさらにもっと向上しているのでは…的「タラレバ」な考えで申し訳ございません。

この日、試合後に自道場で新年会が行われ、我が家も参加。
師範とゆっくり飲ませていただいたが、その時にひとりの柔道経験者の父兄が『指導者ライセンスを取得したい』と声を出してくださった。
正直、凄く嬉しかった。指導者ライセンス取得に向け、更には「審判も取得しようよ」と付け加えてみた(笑)嬉しい。
ひとりでもこうした意欲果敢な方が加わって下さる事で競技者へ情熱が注げられる。競技者が柔道は楽しい。と感じてくれたら、学校の友達を誘ってくれるかもしれない。競技者が増えれば、また柔道の活気も上がり「自他共栄」として栄えていく。

末端でも出来る普及活動や雑務をこれからも出来るだけ行なっていこうと思っている。
この日の試合結果は、新年会まで次男の結果以外は知らなかった。せめて指導してきた生徒が頑張る姿は競技者の横で応援し、見たかったよなっ、と思ってしまうのであった。

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