【サザンフィッシングvol.1〜慶良間トレバリーWキャッチ】2006年5月15日発行
年間30日、50日、100日と滞在日数がどんどん伸びてきた那覇生活をしていた時、ある社長様からの紹介でエイ出版社の方を紹介していただいた。
私は当時、エイ出版社の『ソルトワールド』に執筆で関係しており、その話をしながら飲んだ記憶があった。ご紹介していただいた方はエイ出版社でも取締役柄の方であり、明日のロケ、来週の原稿…等リアルな現場ネタは出ない飲み場だったので、あまり深く考えもせず、神奈川と沖縄本島を往復する様な忙しく変わらない生活を送っていた。
そんな時、一本の連絡が入った。
その内容はこうだ。『沖縄、奄美諸島のエリアにターゲットを絞った釣り雑誌を作りたい。協力して欲しい。』と。詳しく聞けば、上からの指名で私が名指しで上がっており、すぐに話を進めて良い。と言う事だったのだ。
私はその時に『あっ!わかった』ピーンときた。あの夜、松山(那覇の繁華街)の居酒屋さんでお世話になっている社長様から紹介を受けての…だ、と。すぐに話は纏り、次の沖縄ツアーで原稿を1本上げる事で仕事依頼となった。
連絡をくださった方はエイ出版社《沖縄スタイル》(今あるかは、わかりません…)などを手掛けている編集者で那覇在住だったので原稿の構成や文章方向、またギャラなどの話も連絡は取りやすかった。
当時の私は、どんな釣り場面であっても一眼レフカメラは必ず持参していた。何か動きがあれば、肩にカメラバッグ。広角レンズと一般で使える80mmのレンズを予備に持ちティラピアをパンで釣りに行こうが、夜ターポンをオカッパリで狙いに行こうが、チービシに上陸しようが、カメラバッグだけは離さなかった。
イカが泳いでいるのがみえたら「パチリ」うみんちゅがボラを投網で獲っているのがみれても「パチリ」。
パチリ、パチリ、パチリ、パチリとカメラのレンズを向けてきた。これが積もって後に仕事に繋がった話もあり、文章を書く為に写真を用意する、のではなく、普段からあらゆる場面を想定して撮影していたのを思い出す。
今はiPhoneのカメラ機能が著しく進化しiPhoneの最新版を使うことで写真ストックが増えている。クラウドに残していけるので不安も少ないし、起動も早く持ち運びも楽でコンパクト。安心と手軽さが大きい。だからiPhoneに最近は頼りまくってしまう自分がいるのだが…。
カメラマンさんにはカメラマンさんしか撮れない一瞬の感性や研ぎ澄まされた作品力があるから素晴らしい作品になる。私の様な素人はあらゆる関連性のモノを抑え、編集者に選択してもらうしかない。
よく「花を撮れ。旅先での花を撮れ」と尊敬する雑誌編集長に言われたが、花、港、は必ず今でも1枚だけでも抑える様にしている。
那覇の匂いを誌面から伝えるのはなんだろうな、と毎回思う。暑い太陽光だけでも無理だし、額から流れる汗は夏の甲子園でも同じだ。かと言って釣りにまつわる暑さをパチリとやるには…デイゴであったり、ハイビスカスであったり、ご当地ビールであったり…私の様なセンスのかけらもない部類のひとは、やはり難しいんだろうなぁ。
それでも言われた花はパチリとやり、地域にわかるモノを撮影しても「沖縄、奄美諸島の釣り雑誌」だからどうやら必要なかったのだろうね。
この【サザンフィッシング】が本州で一般販売されたのは超大型書店のみだそうで、近くの書店には並ばなかったらしい。私も出来上がった1冊を編集部から送られてきただけなので、販売ルートやその後の方向性とかはわからない。
ただ編集部から本誌原稿依頼内容を聞くと「出来るだけ最先端な道具類を使った写真が欲しい。文章も内地(本州)目線で書いて下さい」と依頼があった。
2006年発行の雑誌。少しでも沖縄、奄美諸島エリアのアングラーが注目してくれたかな?そう考えながら当時を振り返ってみたのでした。
【データ】
誌名:サザンフィッシング vol.1
編集長:佐久川政一郎
奇数月15日発行
2006年5月15日発行