【週末は、湯河原町へ。平松礼二美術館】夏の終りにGo to。
諸用にて、8月の終わりに湯河原町立美術館へ。親孝行、って全く出来ていない。
親孝行は「やらなくては…」と思ってやるものではなく、フッとした時に無意識にしている事が理想なのだと思う。これは自分にも子供が出来、子供を育てている中で嬉しい事や、些細な事でも、構わないから有り難く思えた時に「親孝行」って感じられるんだよな、と。
今年は新型コロナウイルス感染予防策でヒトとの接触も極限まで減らす事が国からの指示であり、国民が一丸となって行ってきた事。現在もこのスタイルでしか感染予防策が無いので、いわゆる親兄弟親戚と言ったところまで誰にも接触は行っていない。
私の妻方は京都であるが、当然そちらにも行く事すら出来ず、スマホを持たない義理母に孫の顔も見せられないのも辛いし、老体ひとりで生活されている事も心配である。しかし、帰ることにどの地方も否定的であり、その否定される理由もわかるから今はお互いが我慢しなくてはならない。術のない日々だけが続く。
静岡県にある湯河原町立美術館は、平松礼二美術館として父親の作品を観覧する事も出来るし、館内には父親のアトリエも常設されている。鎌倉実家のアトリエだけでなく、これまで父親のアトリエは借りた空間もあったし、自宅にもあった。
アトリエは日本画の顔料を溶くニカワの匂いがする。ニカワの匂いがしていると、父親に叱られている気持ちになりやるせなくなったりもする。私にとっては、ニカワの匂いとは屏風に向き筆を走らせ、私を見ない父親像が浮かぶ。
学校から通信簿を持って帰り、作品の制作に没頭する父親に渡して胃が縮み上がる思い出の方が多かった。「クラスの雰囲気を盛り上げる性格は、誰とでも親しく出来る。」と担任が学期を振り返り書いて生活態度を親に知らせてくれた時、屏風に向かったままの父親が「大切な、事。良かったな。」と一瞬でも私を褒めてくれたのは今でも忘れられない嬉しさである。
柔道はいつも2位止まり。県でもあとひとつ、地方大会でも大手止まり。柔道だけでなく、勉強も生活も絶対に1番になれなかった少年時代。
父親の美術関連者からは「柔道頑張っていますよね。先生、誇りにされていましたよ」と聞くし社会人になっても釣りの世界で活動しても外部の方からは「衛星放送、観てます。」や「先生から聞いてます。釣り、すごいですね。」と言ってもらえるが、父親からは「釣りは娯楽だ。」と厳しく言われ続けた40代。
Mook本が出て見せに行った時に、少しニヤッとした父親の顔は忘れない。言葉では「良かったな」と短く言われた褒め言葉だが、最初に渡した時のあの堅い顔がちょっとだけ緩くなったのが私にとっては、宝物。
父親と50を過ぎても敬語でしか話せない間柄は他の親子では理解など出来ないだろう。でも私は父親を尊敬しているから、50過ぎたオッさんでも敬語を貫く。
暑い湯河原町。この日、館長さんらとご挨拶をし、美術館に長く居座った。会話もない、楽しい事など特にない。
しかし湯河原町立美術館平松礼二美術館へ来て下さった方に頭を下げる事が私が唯一出来る事だと思い、礼を尽くしてきた。
8月29日、避暑地だと信じていた湯河原町は30度が優に超える酷暑。家族は他で遊んでいてくれ。私は来場された方へ頭を下げて感謝を尽くすのが、出来るだけの親孝行なのだと信じている。