【世の中に雑誌が無くなるのか⁉️】1冊を手にした喜びは何処へ。
子供の頃(小学生)学研から発行されていた《釣りトップ》がたまらなく好きで、発売日を毎回待ち遠しくしていました。
自転車で商店街にあった書店に向かい、あまりにもワクワク過ぎて車と接触事故を起こした程。
何年も後にまさか憧れと期待の誌面に自分が文章を書くなんて、当然なのだが思い描く事すらなかった。
表紙をみて、大きく書かれた特集記事に期待を膨らませてページをめくる。
目に飛び込んでくる矢口高雄さんの三平から桜多吾作さんのイラストに小学生釣り好きの私には刺激と興奮がいつもそこにはありバイブルでもありました。
その流れで廣済堂出版から発行されていた《フィッシング》。これにも興奮しました。ブラックバスをアルミボートに乗りながらトップウォータープラグで釣る口髭をはやした小太りなおじさん。
後にプロ契約を結んでいただいたスポーツザウルス代表の則弘祐さんと知るまで何年を費やしたか。黒アナゴの様な背の高いマサイ族みたいな日焼けしたバンダナをいつも頭に巻いているチャーマス北村秀行さんも子供の頃に知った釣りの方。
紙から得た知識や情報は勉学以上に少年時代の私にはインパクトが大き過ぎた、刺激を常に与えられてきた世代。
「釣りの雑誌に取り上げられる」事への憧れがいつしか本業になったのも《雑誌》があった頃だからと言い切れる。
思春期には、川原や神社裏境内に捨てられていた成年雑誌、いわゆるエロ本も紙が持つ魔力。
雨でふやけ、捲りにくいページを慎重に開き、目に飛び込んで来た開かせた世界に身体中が硬くなった。持ち帰れないエロ本を神社裏境内に隠しては、次の時には無くなっていたショックの大きさ。
落胆を越えたダメージは今も忘れられない…。
こうした、子供の頃から親しんできた《雑誌》。活字だけでなく、写真と文章とイラストが混ざり合いページを形成されているのが、何よりも多くの情報を得られたし、色んな意味で宝物であったのだ。
その雑誌が、昭和から平成となり、令和の現代になると恐ろしいスピードで無くなっていく。
雑誌が無くなるスピードよりも速い経過時間でインターネットが普及し、情報を得る手段の能率を上げていくものだから、世の中は紙離れが当たり前となり、小説ひとつを読むのも電子書籍、毎日届けられる新聞も電子版、月刊誌に掲載されるスポーツの試合結果は、速報でwebから簡単に得られ、とにかく便利に尽きる。
仕事にしている釣りのコラムや雑誌類のハウツーページ、釣行寄稿文なども原稿用紙に指定文字数を書き込んではFAXで入稿してきたが、いつしか手で入稿するよりも、ネットで処理していく方がスマートであり、当然であり、当たり前になっていった。
私も楽をさせてもらえ、現代の流れに文句を言う事など無い。
しかし、手前都合で言っちゃえば、出来上がった書き物をリンクだけ送られてwebにて開いて確認した時よりも、郵便等で届けられた茶封筒を開いて手にした雑誌内の自分原稿確認の方が喜びは大きい。
下記は少し前にFacebookに記載した内容。たくさんの方々から、書込みをいただき、それぞれの意見を読ませていただきました。
紙が無くなる事への寂しさや哀しみ、思い出などを綴ってもらいました。
紙から得た夢や目標。布団に入り、寝落ちするまで読んでいた紙の雑誌。再びあの雑誌を手にし、たまらないワクワク感を得られる時代に戻る事はもう無いのだろうかと感じるのであります。
《紙の大切さ》
休刊ラッシュが止まらない。釣り関係での悲報に苦しんできたが、スポーツ界にも同様の波に。表紙をみて胸が膨らみ、ページを捲る毎に旬な様子が目から脳に伝わる…。
webで知った内容を、再び手で追いながら確認していく事が、もはや邪魔な行動になってしまったのか。
高校生の頃から読み始めた『近代柔道』。
仕事の発表場として意識し、最先端を伝えていきたいと関わり続けてきた『フィッシング』や『ソルトワールド』『SW』。今朝、次男坊の机の上には、テスト期間中であっても、紙の柔道雑誌の付録が置かれていた。
webで得た最新の情報。紙で手にして確認出来る雑誌。併用する時代は、もうこの先ないのだろうか。虚しい。
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