【有難うございました。地域中学校柔道部コーチ時間へ】感謝を込めてご挨拶へ。
柔道仲間であり、同い年の福井学先生からのご厚意で相模原市の柔道部外部指導員に誘われたのが8年前。
その以前は座間市の公立中学校で外部指導員としてお手伝いをして来ましたが、自宅から近い事もあり、相模原市の中学校で正式に外部指導員としてお受けする事になりました。
部活動コーチとして相模原市役所での育成ミーティングや講習会、他競技のコーチらとのディスカッションなども行い、中学生らが思いっきり安全で柔道部活動が出来る様にと学び、週に2〜3日のペースで通わせてもらってきました。
思い出せば、この8年間は色々な事がありました。柔道部顧問の移動やコロナによる影響、朝練の廃止に加え、部活動内でのいざこざや顧問との意見や温度差の違いなど、頭を悩ませた思い出もありました。
嬉しかったのは、団体戦で県大会での活躍。その生徒が高校生になっても柔道を続けてくれた事。修学旅行のお土産を持って来てくれた事、中学校を卒業しOBやOGとなって部活動に顔を出してくれたり、と嬉しい事の方が鮮明に思い出されます。
高校柔道の合宿で再会し活躍してくれた生徒もいました。県外の高校に進学し再会して乱取りをした時に強くなっている成長を感じた喜びも。
中学校の部活動だけでは物足りず私の所属道場に入門し、高校進学を柔道で進んでくれた生徒もいました。
女子生徒が1人引退まで頑張ってくれ、卒業後に街でニコッと頭を下げてくれた事も。どれも忘れられない良き思い出になっています。
団体戦で横浜市内の強豪中学校に負けた時、生徒たちは皆、悔し涙を流し私は自分の指導力の無さに謝った。あの場面でもっともっと良き指導者として生徒たちと接したいと本気に指導を学んだりと自分自身も日々向上、勉強で生徒たちと向き合わさせてもらいました。
審判技量が足らず、恥を承知で高校生の試合で経験を積ませてもらったり、日体教のコーチライセンスなども取得させてもらって、真剣に柔道コーチとして向き合わさせてもらった。
それが、福井学先生のご厚意に対する礼だと思っての努めとして努力し取り組んできたつもりです。声を掛けてくれた御恩を大切にし、自身をアップデイトしていく事が結果生徒へのプラスになると必死でした。あの頃がもしかしたら、一番楽しく必死になっていたでは、と思う今であります。
今期で所属中学校の相模原市立相陽中学校柔道部の長かった歴史は終わります。
道場で長男を育てて下さった3人兄弟の先生は相陽中学校柔道部出身と言うご縁もありました。3人共に相陽中柔道部出身で長男だけでなく、次男坊も可愛がってもらいました。
高校もその先生からの勧めで先生と同じ進路を。兄弟共に柔道でその高校へ進学。次男坊はインハイ出場をやってくれ、その先生たちの達成出来なかった夢を成し遂げてくれ、とても喜んでくれたのも新しい記憶です。
「相陽中柔道部、無くなるんですね」と次男坊インハイ出場の際に交わした会話で出たのは、先生方もかなり寂しかったのだろうなぁ、と察しています。
今、私自身がタラレバではないですが、ああしていれば…。こうしたら…。そうであったら…。色々と思いが過ります。しかし、外部指導員コーチとしては、何も言えない立場。学校が決めた方針に従うしかありません。
そんな歯痒い思いを胸にひめながらの昨年後期。しかし、部活動では一切そんな事は出さずに生徒たちと向き合い柔道部コーチを務めさせてもらいました。
今年、関東大会個人に駒を進めた生徒がいて、会場の畳敷きを手伝ってきたのが最後になりました。これをしなくては…そんな気持ちで仕事を抜け出し会場作りに参加し、中学校柔道部外部指導員は終わったんだと。
昨日、お世話になった相陽中柔道部顧問の先生、また校長先生が出張にて不在だったので副校長先生にご挨拶へ行かせてもらった。
もう既に懐かしく感じてしまう中学校の正門を通り、先生方へご挨拶と感謝を述べて帰ってきましたが、柔道場を覗く事はしませんでした。
二度と柔道部は再開する事はない。だからあの畳を見ることすら無いんだと自分に言い聞かせ、中学校を後にしました。たくさんを学ばせてもらえた相陽中柔道部に感謝ばかりです。有難うございました。