【京都府亀岡市を散策】懐かしい柔道部寮は、何処へ。
下船して、柔道部釣り部は晩ご飯へと。
舞鶴市内の焼肉屋を梅原君が予約してくれていたので、タックルを片付けてから向かった。今回アルコールを飲むのは、私と水無瀬先輩だけ。
後は車だったり、ゲコだったりでノンアルコール飲料。
焼肉食べ放題に私は良く行く。今でも子供らを連れて良く行く。だから、若者たちの食べる量はわかっていると思っている。が、しかし…。
スタートはハイボールで乾杯し、お肉を注文するのだが、次から次へと運ばれてくる量が半端ない。
「まぢ⁉️」と口にはしなかったが、完全に目が肉の量に泳いでいた。そして、みんな赤い肉のままに近いレア焼きでガンガン食べる。
私はしっかり焼く派なので、丁寧に焼いて肉を育てていると、すぐに無くなる。目の前の肉が無くなったからまた焼くのだが、次から次へと肉は運ばれてくるのだ。
さすが柔道部。食べ方は現役時代と変わっていないはず。
白米を3杯も食べ、肉をガッツリやり、リアルゴールドをジョッキで飲む…それだけでも素晴らし過ぎるのだ。
食べながらは、同期生の話や先輩、後輩の誰が嫌いだったか、とかインケンだったとか、こんなワルサをした、とか…話はここでも尽きない。
私に限っては「平松先輩は、釣りばっかりでしたね。琵琶湖で雪の中釣りに連れていかれ、死ぬかと思いながら釣りしてました」だなんて言われた。
いやいや、ホント楽しかった晩ごはん。この頃に戻れたら、なんて考えたりもするが、この頃があるから今がある。だから頑張れるんだろうしね。
京都学園大柔道釣り部の皆さんありがとうございました。楽し過ぎました。
翌朝、何となく前夜の話から懐かしさが込み上げ、柔道部寮を見に行ってみた。
京都学園大学柔道部は昨年度にて廃部になり、もう復活する兆しも無さそう。せめて思い出深い寮だけでも見てこようとなったのだ。
全く変わらない曽我部町に入る。ど田舎でたまらないがホント何一つ変わっていないのも笑える。
まるでタイムスリップしたかの様な当時と変わらない田舎道を抜けて、そこにある柔道部寮に到着。
柔道部寮は、2荘で当時使われていた。本寮と離れの別寮。どちらも一回生が当番で寮の役割をしていた。
朝、全員を起こす。食事当番は先に食堂に向かい、メシの用意。その間に朝練(トレーニング)があり朝食。4回生先輩の御代わりをとり、片付けをして授業に向かう。
ここから夕方の稽古までは授業なのだが、大半は寮で寝る。
3時半頃に寮から出て担当先輩の柔道衣をたたんで出しておく。稽古が始まる。そして晩ごはんは朝と同じ様に。
ここからが大変。当番は、電話番をし、風呂を常に綺麗にして先輩ひとりひとりに入るかの声掛けをして回る。
水無瀬先輩は、3回生の時に常に一番風呂。必ず一番風呂だった。
そして夜、友達の車が迎えに来たと思ったらオシャレをして寮から消えていく。点呼時は私ら1回生が誤魔化していた。
寮当番は、23時まで。そこから1回生が風呂に入れる。こうして寮生活の1日が終わるのだ。
そんな思い出が詰まった柔道部寮。良い事はほぼ無くて嫌な事ばかりだった寮生活。でもこの日みた寮の姿は、あまりにも寂しかった。
2荘共に廃墟であった。あまりの酷さと言うか、惨さに言葉が無かったが、これも現実。
昨夜、この寮生活の話で盛り上がり笑い続けただけに、現実を受け止めるだけの勇気に時間がかかったのでした。