【インターハイ柔道競技】次男坊が大分に連れて来てくれた歓びに感謝‼️
次男坊のお弁当作りを始めて5年半。中学生終了時に、これでおしまい、と決めて毎朝作り始めていましたが、高校でも柔道を続けるからと、弁当作りを継続。
高校に入学してすぐ一度だけ何をトチ狂ったのか66kg級から60に下げると言い出し、仕方なく減量に付き合いましたが、自分らしさが出ないと断念。それからはずっと66kgクラスで稽古を重ねてくれました。
中学生の時は関東大会止まり。その悔しさと全国への憧れで高校でもインハイ目標で頑張り続けてくれており、弁当作りも引くに引けない状況での今があります。
柔道稽古は学校部活動で監督主軸に稽古を重ねてくれ、更には私の友人であるおじさん先生らが引き続き英才教育をして下さっていたのが、こうして全国への切符を手に出来たと心から感謝をしております。
小学生の頃「ひのまるギッズ」で毎回負けて泣いていた次男坊。中学生では県決勝で強豪校選手に負け全国切符に届かず。
私は90kg級クラスなだけに、投げ込み相手にはなるだろうと身体を貸しては高校時代最初の頃はガッツリ乱取りでチカラを付けさせた。柔道での付き合いがだんだん出来なくなってきても、弁当作りはカラダ作り、と思い自身が感染病(インフルエンザやコロナ感染)以外の時は毎日同じ様なものでも作り続けてきました。それが次男坊との「柔道」の向き合いでした。
今年のインターハイ柔道競技会場は、大分県。長男夫婦、我々夫婦が高校柔道で応援出来るのはこれがラスト。長男もインハイ直前で仕事を半休し次男坊との稽古に付き合ってくれ、それも合わせての応援です。
所属高校では八巻佑監督がガッツリ追い込んで下さり、感謝。また私の柔道仲間である宮本功三先生や内村直也先生、福井学先生、駒木勝先生らが技術面など本当に多くをサポートして下さり感謝しかございません。
次男坊は稽古環境こそ時として足らなく感じたりした場面もありましたが、それをカバーする先生陣の支えにより、こうして本戦最後まで頑張れたと思っています。有難うございました。
facebook投稿で触れましたが、インハイ会場では強豪校さんの素晴らしい場面に触れる事もあり、そちらも感謝しかありません。
神奈川県代表の東海大相模高生徒全員で次男坊を声援して下さった事。試合当日に座席を譲って下さった愛知県代表の大成高保護者様方。強い学校の強さの秘訣は畳から離れても素晴らしさを実感させてもらえた大分インターハイだったのでした。
思えば、試合1週間前にもなれば、次男坊のピリピリした態度が目に止まり何度も叱りそう(いや、一回叱ったな…)になった自分。今思えば、自分もイライラしていたんだなぁ、と気付く。戦うのは本人なのに、いつしか家族までピリピリしていた本戦前でした。
広い会場を目にした時に、ここで全てを出し切れる様に、と頭を下げて会場をみた。グリーンと黄色の畳が敷かれた4会場あり、熱戦が繰り広げられている。いつしか自分の思いが叶わなかったインハイ出場の夢を次男坊が成し遂げてくれたのだ、と思うと涙が出てきた。
私達家族は2泊3日の日程。長男夫婦との晩ご飯時や、宿泊先から会場までの車中もずっと次男坊中心の話。今回の大分旅は、次男坊が連れて来てくれたのです。そんな旅になったのでした。
何ひとつ観光もしなかった大分の街。しかし、たくさんの思い出を目に焼き付けてくれた大分の街。次男坊が連れてきてくれた大分の街で、最高の感動をいただけました。感謝しかありません。
高校時代の柔道試合観戦は、これで終わり。次のステージに向かいます。私はこれからも変わらず、長男や次男坊が柔道を続けてくれる事への恩返しとして、中体連、高体連の稽古や審判業務へのお手伝いを続けていきたいと思っております。
たくさんの先生方に支えられてこうして出場させてもらえたインターハイ。たくさんの方々に感謝しております。有難うございました。