【疲れた身体を癒すのは…】次男とゆっくり語りながら入った温泉。親として…。
左肘を柔道の試合で骨折した次男。それから3週間は当然肘にギブスをして固定し、動かさない状態での生活となっていた。
普段から運動量の多い次男はイライラ気味が隠せない時もあり、反抗期も手伝って落ち着き無くスネた生活を時に見せたのであった。
運動は毎日インナーマッスルを鍛えるための「体幹トレーニング」が中心。道場にも通わず、ひたすら「体幹トレーニング」をしながら少し柔道から離した生活をさせてみた。
これが良かったのかどうかは別であるが、ギブスが取れた翌日はさっそく「ガサガサ大作戦2018」であり、自身の左腕がきちんと可動するかを確認しながらのリハビリ。
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ガサガサで左腕が充分動くとなると、次は道場にいきたい、と言い出した。ただ、道場でトレーニングをすることは賛成であるが、今はまだやっとギブスが取れた状態。
これからやっと柔道衣が着れ、動作確認中心の打込み等からのスタート。だから当分柔道はさせる気はなかったのだ。
それを分かっていたのか、気付き始めていたのか「お父さん、お風呂でも行かない?」と次男から近所の日帰り温泉に誘われたのだ。
「いいよ、じゃあ、仕事後に行こうよ」と時間を決めて、親子二人の裸の付き合い時間が出来たのだ。
お互い、通い慣れた地元の日帰り温泉。
「湯快爽快 天然湯元座間温泉」はそれこそ宮本功三先生との裸のコミュニケーション場であり、小生もよく利用している。
次男は長男が大阪から戻った際はふたりでよく行っており、お互いが風呂好きな親子なだけにお風呂での会話が気になる。
小生は炭酸風呂で傷めている肩を伸ばしながらゆっくりと浸かっていた。次男も横に来て、骨折した肘を曲げながら可動距離を確認している。
黙って次男の動きをチェックしていた。左腕を胸に当てる様な動作から、その連動で曲げた肘を内側へと持っていく。柔道を知っている方なら「背負投の動作だ」とすぐにわかる。
肘を内側に入れた時は小生もヒヤッとした。しかし痛がる様子は無い。最初は「こうすると痛いんだよねっ」とかを話して来るのだろうと思っていたのだが、どうやら「オレの肘はもう全然痛くないんだぞ!」アピールだとわかる。
「曲がる様になって良かったなっ」と横で肘を曲げる次男に伝えると「お父さん…」何か言いたそうな弱い声で自身からの気持ちを伝えようとしてきた。
話しやすい様に聞く耳を持って、話しを続けさせる。
「全小予選(全国小学生柔道大会神奈川県予選)に出ちゃ、ダメ?」…来たか。やっぱりこの話しか。
「天(自分)、どうしてもこの時を目標に練習して来たんだ。どうしても出たいんだ」声が涙声になり、そのうち、本当に泣きながら訴え始めた。
「お父さん、お願いだから試合に出させて」「去年は〜誰々に負けて悔しかった」「〜誰々と勝負したいんだよ」次々と思いを込み上げる感情と合わせて涙も落としながら伝える次男。しかし…、だ。
父親としてこれまで次男の柔道に取り組む姿勢はずっと応援してきたし、しっかりと見て来た。我ながら良く練習もするよなっ、とも思っていた。だがしかし、まだ今が…ではないのだ。
今を雑にしてまた肘をやってしまったり、もしかしたらそれ以上のケガもしてしまうかもしれない。そう思うのは当然のこと。
小生は父親であって、彼の指導者でもある。これは冷静にならないといけない。可愛さ故の甘い判断が大きな後悔に繋がる場合もあることが当然脳裏にあり、即答が出来なくその場は安易な愛想だけで終わらせてしまったのだ。
それからは本当に小生、悩んだ。ギブスが外れて、一週間後が本戦となる日。
当たり前に柔道など出来やしない。女房も柔道有段者であるので相談したのだが、やはり母親は子供の思いを一斉に背負い、受け止めてあげたいばかりである。当然のことだろう…。
他道場の恩師や仲間の柔道関係者、指導者にも相談した。そして全員が当然指導者なので「今回は、ダメだよ」と正当を伝えてくれる。
それでも次男は自道場へ低学年との確認稽古や打込みだけでも、と向かい始めた。出稽古でお世話になっている先生所にもお邪魔させて頂いた。ご迷惑を承知で出来る範囲での稽古をさせていただき、この状況で出来る最大な練習をさせていただけた。
試合直前の日。小生はこの全小予選には最後までOKを出さなかった。
それでも試合会場に行く。と本人は言う。仲間の応援もあるし、小生は引率もしなくてはならないので会場へと向かった。
「お父さん、絶対に背負投(肘への負担となる得意技)はしないです。出て良いですか」一週間、ずぅっと次男の柔道に取り組む姿、そして柔道ノートに書かれた本人の試合に対する思い、そういったものを見て「出るからには、全力で試合に挑め。その変わり、絶対に背負投は掛けるな。後悔はするな」と出場を許可してしまった。
これは、指導者として失格なのかもしれない。これから先、長い柔道人生において、今のケガがモトとなり、一生引きずるケガになるかもしれない。
それにもし、また試合中ケガをさせてしまった相手にも申し訳ない。たくさんの不安と自身の技量の無さ、決断力の弱さを感じた。
それでも体重軽量は始まっている。軽量もパスし、道場生らと試合前のアップを始めている。
たくさんの不安は実は次男よりも小生の方がもしかしたら抱えていたのかもしれない。それほどダメな指導者であるのだ。
試合前日、大阪で生活している長男が次男を説得するために連絡してくれていた。
お兄ちゃんは次男にとって尊敬する一番の信頼があり、そのお兄ちゃんからの出場中止も断っての決意。最後は女房が「見守ろうよ」と言ってくれたことへの甘えが自身の情けなさでいっぱいであったが、小6でしっかりと自分の意志を親に伝え、それからの姿、それまでの様子も柔道に向けてくれていた事は本当に嬉しい。
誰よりも同門生を大きな声で応援し、励まして試合を一緒になって盛り上げている。そんな次男なだけに…。
小学6年生、軽量級の試合が開始された。
「吉原道場 平松君」係員の先生に呼ばれた。白帯を渡され締める次男。
あの日、あの場所で気持ちを込めて伝えてくれた言葉は本人の姿勢から見て、分かった。もう、とにかく全力を尽くせ。そう思って彼の背中を見つめる。
「礼。はじめっ」
間違っていたのだろうか。やらせて良かったのだろうか。これが我が子でなく、生徒として見れていられたか。自問自答の瞬間であった。