【庭の草むしり。自分を見つめ直す時間…】嫌いじゃないんだよね。
小学生の頃…。引越し先地区の小学校から受入拒否され、隣街の小学生に越境通学となった…。ドラえもんに出てくるジャイアンとキャラがかぶっていた、と認めたくないけど感じていた。
進学し中学生の頃…。毎日誰かとケンカし、相談室で反省文ばかり書いていた。他の中学生らと縄張り争いでケンカしては、また相談室で別行動。
この時に生活指導と学年主任の先生から必ずやらされていた課題が「草むしり」。プール脇に生えてる草を全部抜け、だの職員室横庭をワザと草むしり場所にされ、イライラ爆発寸前だったのを今でも覚えてる。
中学生に慣れると同時に、怖い相手がどこやらの中学生とか、学校も行ってない先輩や卒業生よりも柔道場の先生が一番怖いんだ、という事がはっきりわかり、周りのヤンキーは全く無視する様に。
それからは相談室にも入る事は無くなった。
相談室の思い出は「草むしり」。中学1年の頃に暴れていた私は日常の授業よりも「草むしり」の方が多かった。
中学生で手に追えないから、と他県山奥のお寺に入れられた事もある。1度や2度なんてものじゃない。山奥のお寺でも「拭き掃除」と「草むしり」ばかり。
黙って目の前の草を1本1本摘まみ、根から抜いていく。根から抜き、砂を落として摘んでいく。草むしりをした後を見られたら、雲水さん(修行僧)に度叱られる。だから手抜きはできない。
そんな生活と相談室の出入りが無くなったのは、「柔道の先生(妹尾道場の先生方)のおかげ。」だ。
だから毎日、帰り道、歩くのが嫌になる程稽古、稽古であったし、間違った方向にも走らなかったのは感謝しかない。「草むしり」は当時を思い出す行為であり、懐かしい時代を感じられる行動なのだ。
黙って草の前にしゃがみ込み、根の奥に挟みの先を突っ込んで深い位置から根を取る。1本摘まみ、1本摘まみ、を繰り返す。目の前の草は絶対に容赦しない。抜く。とにかく、抜く。
抜きながら、柔道の稽古内容や組手の順番、釣りの原稿の構成も考えるし、冬までの仕事プランなども考える。
もの凄い地味な動き、地道な作業なんだけど、手を動かしながら自分自身を見つめ直し、考える大切な時間になる。
だから「草むしり」は好きなんだよっ。もしかしたら、達成感もあったりするし、ね。
コツコツと草を抜きながら頭の中で自身を振り返ったりする楽しき時間を今日午前中、ガッツリ汗をながしながら満喫してみました。
本当は「草むしり」しない様に、除草剤が欲しいんだけど、手で抜く時間に疲れはあるけど、私にとっては、1人で自分を見つめ直せる時間だから、至福の時間であるのかもしれないなっ。
でも疲れました。秋からの仕事構想もおおよそ出来上がってきましたし。