【那覇に帰郷】宮城梓君結婚披露宴参列。おめでとう!

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【那覇に帰郷】宮城梓君結婚披露宴参列。おめでとう!

14歳の冬に宮城梓君を大嶺社長から紹介された。
『カズボーさんの弟の宏次さん次男坊を面倒みて欲しい』こう紹介されたのが始まりであった。

梓君は、当時釣りキチ三平ならぬ『スーパー中学生』として西原町ではチョイと有名な釣り好き中学生であった。
更に将来『釣りのプロになりたい』と言う未来設計を14歳で口にする程、釣りが好きな子供であった。

何度か宏次さんと梓君と話したりして気持ちのブレがない事が感じられて来た。当時、那覇滞在年間100日以上だった小生。自然と梓君と一緒に行動する事も増え、また船に乗せる事も多くなったのだ。

中学から高校に進学する際『提出物だけは絶対に忘れるな』を貫き、無事高校合格。
高校に進学してからはバイクの免許を取得し、より行動範囲も広がった。西原町から那覇までは車で30分。船の時は毎朝、お母さんが那覇まで送って下さり、船に乗せ、ジィージィでお父さん(宏次さん)と合流して引渡し、の日々。

高校も卒業し、いよいよ社会へとなった時に『サンノリー2曙店様』での仕事が決まり、その時期に重なる様にAZUSAブランドもリリースする様に動き始めた。
沖縄だけに留まらず、日本各地の釣りを学び、文章の書けるアングラーになってもらいたい、と九州でヒラマサを狙わせ、インドネシアやシンガポールへと連れて回った。
梓君もたくさんのアングラーから支えられ、いつしかしっかりした青年に。それと同時に口厳しくそれまでより小生は敢えて言う様にした。

『俺(小生)は嫌われ役になろう。親や仲間、周りが言えない事を俺が口細かく言う事で、今嫌われても何年か先に俺が言った事が理解出来、もしかしたら感謝してくれるならそれで良い』そう決め、かなりうるさく言う様にした。

周りからは「梓に厳しいね…」何度か言われた事があった。しかし、それでも梓君には厳しく接する様にした。
やはり、梓君は少しずつ小生から遠ざかる様になり、それは小生が一番気付いていたのだ。

ハタチの成人式が過ぎ、それから2年程接する事はなかった。風のウワサはよく入って来たが、それを詮索しようとも思わなかった。

『慶さん、子供が出来ました!』
彼女、マリナさんとも高校時代に西原町の実家であっており、旅先でも彼女の話しをよく口にしていたので知っていた。昨年だったかな。本人から連絡が入った。正直、凄く嬉しかったし、その反面まだまだ伝えきれていない事がたくさんあり、悔やんだ。しかし、家族が加わり、息子の様に思って接して来た梓君も父親となる。黙って見守る事にした。

今年「披露宴をしたいから来て欲しい」と本人から連絡があり、もちろん喜んで参列させてもらう事にした。300人を超える先輩方々や御親類の方、仲間などにふたり、いや3人の門出を祝ってもらった。

披露宴最初の挨拶で『ぜんざいの富士家』大嶺隆社長が小生と梓君との繋がりを紹介して下さった。これからもこの繋がりを大切にし、幸ある家庭を築きあげてもらいたい事が一番の願いである。

★「それでは大人の皆さん、準備体操をはじめます」島バナナーズさんの動画はこちら→https://youtu.be/BM5f1-mWkOI

おめでとう、梓君。マリナさん。娘ちゃん。

釣りの相談なら、これからも変わらずなんでも聞くよ。ただ、先を考えるなら県外に目をやれ。

外を広く見ろ。海は広いぞ。大きいぞ。行ってみたいな、他の国…。希望を常に持って頑張ってもらいたい。
これからも更に大きく輝き、羽ばたいて欲しい。それが、小生の願いだ。

本当に、おめでとう。アズサ!頑張れよっ。誰よりも一番うるさいシージャーであり、いつまでも応援しているからなっ。

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keitanhiramatsu