【次男、小学生終了】あっという間の6年間。次のステージでも頑張れ‼️
小学1年の終わりに、お兄ちゃんに憧れて柔道の門を叩くかたちとなり、9歳離れたお兄ちゃんと一緒の吉原道場にお世話になることとなった。
私達夫婦が柔道をやっていたから、ではなくあくまでもお兄ちゃんが柔道をやっていたからが切っ掛けのようだ。
これは長男も同じで、私達親が柔道を勧めたことは全くないのが今となっても不思議で仕方がないほど。家族4人、柔道を今は経験者としての毎日であるが子供達は自分から自発的に柔道が習いたい、というスタンスは正直嬉しいことであった。
ただ、私達夫婦が経験して来た時代の「柔道」という武道は本当に厳しかった、と言うひと言であったし、この厳しさに子供達も浸かってしまうのかと言う可哀想な不安と気持ちは本当のところあった。
私は柔道指導者として現在ライセンスを取得し学び、指導しているが自分の子供にはどうしても厳しくなってしまう場面が多々あった。
座学での指導者学習は理論的に感情を表に出さず、パワハラ、モラハラなどの無意味な圧力を絶対に生徒たちに向けないようにする教育を受けて来たし、学習し理解していると思っているが、時として自身の子供だけにはキツく当たってしまった反省の場面も多々ある。
思い出すだけでも胸がイタイし、息子らへ申し訳なく思ってしまう。
私達が学んだ昭和50年後半から60年代の柔道は現代柔道において、反比例をしている指導法であったし、今行うこと自体が罪となる。精神論を追求しても相手の胸に一生傷として残ってしまうものが出来てしまうであろう。
それを「アッ‼️」と気付いた時に長男にも、言葉は優しくなっても次男にも向けてしまった反省点。でも次男は必死にお兄ちゃんの様に強くなりたい、憧れのお兄ちゃんを目指したい、と柔道鍛錬を貫いて来た。
「どうしてそんなにお兄ちゃんが好きなの?」これをあるタイミングで次男に聞いたことがある。
「お兄ちゃんはお父さんを高校卒業の時に投げたでしょ。凄くカッコよかった」それが尊敬する兄なのだ。
●【長男との高校卒業前日に柔道試合】→https://youtu.be/t70L96RF-zY
長男は今も現役で大学柔道を続けてくれている。ただ全国大会で活躍するような有名選手ではない。ツラい言い方だが、目立ったタイトルなどひとつもない一般的な大学柔道部員だ。
しかし誇りは小学生からずっと柔道ひと筋であり、大学まで続けてくれていることだ。そんなお兄ちゃんが次男にとっては憧れの強いお兄ちゃんであるのだ。
「お父さんを投げた」それがとても大きいのだ。私は知らず知らずに二男にも無言な圧力をかけて来たのかもしれない。強く反省しなくてはならない。
次男が小学3年生の時に書いた「ひと事感想文」を読んだ時に泣けて来た。
●全文
「つらい柔道 平松天」【柔道は、泣いて強くなる。だいじなことは、しせいをただし あいてにむかっていくこと
そのしせいがあると つよくなっていく、
だけどぼくは、それができない。】
昨日も今日も、ほぼ1週間で毎日に近い時間、次男と柔道衣を着て接している。
柔道衣の時間は楽しく真面目に時として厳しく接しているが、反抗期になってきた小学6年生もうまくやれてこれている。
強くなりたいと言って本気で泣いて悔しがっていた時も、全国大会出場を決めた嬉しそうな報告も、すべて「柔道」を通じての男同士の繋がりであった。
明日からは、また新しいステージで今よりも多く努力と鍛錬が始まるが本人が一番楽しみにしているのも、嬉しい。
小学生最後の日に乱取りをしたが、イキイキしていた。それは柔道衣から伝わる次男に意気込みに感じ、その気持ちをもっと支えてあげなくては、とも感じる。
あれだけ身体の線が細かった次男。しかし、今は日に日に身体の線も太くなり、たくましくなってきている。
これまで本当にたくさんの柔道先生にご指導頂き、感謝しかありません。ありがとうございました。次男、次のステージに向けてまた一歩一歩登っていきたいと言っております。どうぞ、これからも変わらないご指導の程お願いいたします。
今日、午前の出稽古から帰ってきて「お父さん、昼ごはんはぼくが作るから」と焼飯を作ってくれた。
具材もロクにない、たまごとキムチベースの焼き飯であったが、手作りの薄い焼き飯の味が今、一番嬉しさと美味しかったと思えてならない。
中学でも頑張れよっ。支える事しか出来ない私ですが、しっかりとサポートを続けていきます。