【パプアニューギニア・カビエン】ジャクソン空港に降り立った時の気持ち。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 5

【パプアニューギニア・カビエン】ジャクソン空港に降り立った時の気持ち。

日本国内で『パプアニューギニア』を書物で調べようとしても、日本慰問団の情報や戦争当時の内容が主であり、なかなか旅のガイドが入手しにくい時代に小生はカビエンに向かった。

旅の情報は「地球フロンティア」(地球の歩き方シリーズ)位であり、更に発行されてからも東ティモールとインドネシアとの内紛が止まずで渡航許可もエリアが限定されていた時代だ。

ただ、こうしたエリアには手付かずな環境が当然あり世界中から冒険心の強いダイバーが開拓し、ダイビング雑誌を頼りに出来るのが嬉しかった。

「カビエン」を世界地図で探してみると、パプアニューギニアの首都があるポートモレスビーから更にドメスティック(国内線)を乗り継ぎ、渡らなくてはならない。

旅のボスが手配したのもダイビングを主に取り扱っていた旅行会社。その方を頼りに未開の地へと向かったのだ。

国営機である「エアーニューギニ」で成田空港から6時間。一週間に1便ある、それに搭乗。
機内で驚いたのは、離陸する振動で正面のテレビモニター(当時はブラウン管)が落ちて壊れたり、機内のアルコールもワインなどはすぐに無くなってしまった覚えが有る。

強烈にデカいサムア系の男女が通路をモッソモッソと動き、体臭を香水で無理矢理消している様な、何とも言えない匂いが機内に漂っていたのも忘れられない。

パプアニューギニアの玄関となる国際空港であるジャクソン空港は、錆びた金網で要塞の様に囲われ、ニグロヘアーの老若男女問わず日本人を珍しそうに錆びた鉛の様な視線でギロギロと行動ひとつ、全てを見られていたのであった。
(24歳の私。当然だが、若い…当時に戻りたい)
ドメスティック便はディレイの繰り返し。いつまでたっても機材はやって来ない。吐き捨てたビンロー樹の液で赤く染まったほこり臭いロビーがドメスティック空港であり、天井に貼り付けられた大きな羽根の扇風機がグワァングワァンと不安定に回りその付近のベンチに腰を降ろして止まらない汗を指で拭っていた。

『んっ?んっ‼️』足元に荷物を置き、盗難から守る様に挟む感じで警戒していたのだが違和感を感じる。

振り向くと、ギロギロした目を充血させた若者たちが後部からしゃがむ姿勢でバッグを奪い取ろうとしていたのだ。
さすがに唖然。

しかしこの状況で油断を見せてはいけない。強く日本語で怒鳴り倒して追い払う。
全く油断出来ない状況にいる事をあらためて感じた。4時間遅れでそれでもカビエン行きのドメスティック便は到着し、それから1時間後に機内へ搭乗。

プロペラ機は舗装もままならない滑走路から飛び立ちやっとの思いで最終目的地まで到着する事が出来たのだ。

日本を発ちポートモレスビーに到着して最初に思ったのは、人汗とホコリの混ざった何とも言えない体臭。ワキガの匂いと香水を混ぜ合わせた何とも表現の難しいグワァグワァした独特の臭いだ。

のちにこの臭いが『また南太平洋に来たんだな』と実感出来る臭いとなり、異国への入り口をひとつ見つけたのであった。

ちなみに、当時(1991年1月10日発行 地球の歩き方 ダイヤモンド社 FRONTIER 111 パプアニューギニア)の内容を読み直してみると、華やかな観光、というガイドではなく、あくまでも現地の状況を知らせる情報誌的な役割をしているのだなっと感じた。(発売は1990年12月と調べると出てくる場合もある)

今ではネット検索ですぐに現地の環境状況や治安状況、有名スポットなどを入手し知ることが出来るのだが、当時はそのような事は当然出来ず、小生もダイビング雑誌が一番頼りになっていた。

本誌が記載している【治安状況・ラスカル】これについては、読み直す事で面白みを増した。

“パプアニューギニアは、治安が良い国とは決して言えない。まだ独立して15年、オーストラリア人などの白人に国の立ち回りをリードされている状況だ。

700余の部族がそれぞれ独自の生活をしてきたのが、急に、まとまったひとつの独立国なんだ!なんて言ったところで、彼らにその実感があまりないのもしかたがない。

奥地の民族は相変わらず原始的な生活を固持しているし、都市部では、急激な文明の流入によって生活が大きく変化しつつある。
白人への反発、自立心の覚醒などは、各地で反乱を起こすことにもなった。

現在、ブーゲンビリア島は独立の旗を掲げて反政府運動を繰り広げており、1990年4月からは空港閉鎖、一般旅行者は入島できない状況だ。

もっとも、ツーリストにとって、こういった政情不安定さはさして問題にならない。反政府運動を行なっている地域は、ブーゲンビリア島のように立ち入りができなくなり、ほかの地域に物理的な被害が及ぶこともない。

この国を旅する旅行者がいちばん気をつけなければならないのは、“ラスカル”といわれる連中だ。

このラスカルに関しては、徹底したガードがつくツアーであっても安全に安全とは言い切れない。まして、個人の自由旅行で“ラスカル対策”を考えずに行動することは“無謀”の一言と言い切っても言い過ぎではない。

さて、ラスカルとは何か?RASCAL=英語で直訳すれば、悪党、卑怯な輩と言った意味、俗語だとやんちゃ坊主ということになるが、パプアニューギニアで言うラスカルは、強盗、あるいはヤクザと訳したほうがいいかもしれない。

ヤクザと言っても、チンピラに近いヤクザだ。

パプアニューギニアの人には申し訳ない言い方だけど、なにしろ、つい最近まで竹槍で部族同時の戦いをしていた様な国、突然文明が訪れ、突然ツーリストが訪れるようになり、そんな中で生まれたヤッちゃんたちは、きわめて単純な思考で、スリ、強盗、強姦といった“罪”を犯す。

さらに、彼らは、痴話喧嘩の勢いで相手を殺してしまうくらいだから、人の命を奪うことに関しては、我々と価値観が全然違っている。
つまり、ツーリストも簡単に殺されることがあるということだ。
このあたりが、結果は同じでも、アメリカのハーレムの危険とは根本的にレベルが異なる。

一口にラスカルと言っても、金品の強奪のためには殺人を意に介さない強盗団から、酒や麻薬に酔った勢いで脅しをかける人までさまざま。

大きく分けると、次のようになると思う。
①反政府ゲリラと結びついた例。
②欧米人や旅行者に反感を持つ人。
③都市間を移動する強盗団。
④町に住む強盗。
⑤単なる好奇心で悪事を働く人。
⑥酒乱、麻薬で理性が消えた人。

①や②は数としてはそれほど多くないだろう。⑤と⑥の被害は天災に近い。いちばん多いのは③や④のラスカルだ。ほとんど職業と化していて、手口も巧妙で怖い。銃を携帯している場合も多く、強盗団同士の撃ち合いもしばしば起こる。
ヤクザの出入りみたいなものだ。

これをファイティングと言い、そのたびに何人か死亡者が発生する。警察は、ファイティングの起こった地区の道路封鎖を行い、そこに出動し、威嚇発砲で鎮圧するだけ。
警察も含めて村人たちは誰がラスカルだとちゃんと知っているが、警察権力は弱いの及ばない部分が多いし、ラスカルは凶暴だし、目認されたままのさばっているのだ。

このあたりのラウs駆るの被害に遭うと、手も足も出ない。”
…etc

※本文は当時記載された内容をそのまま記載しており、時代に合わない表現がいくつかありますことをご了承下さい。

当時の【地球の歩き方 ダイヤモンド社 FRONTIER 111 パプアニューギニア】内に記載されていた一部を伐採して書き込んでみたが、ほかのページにもとにかく「危険な場所」というフレーズが本当に多く出ている。

それほど治安は良くなくて、その当時は閉鎖的な国だったのだなっ、と思ってしまう。

後に、ラバウルやマダンとこのパプアニューギニアが好きになり何度も足を運ぶ事になるのだが、1994年に初めて訪れたPNGの印象は絶対に忘れる事はないだろう。

●パプアニューギニア(P.N.G)渡航回数 7回
●国内通貨:キナ

スポンサーリンク
patagonia
パタゴニア
patagonia
パタゴニア

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

keitanhiramatsu