【2010年9月3日】富士山登頂。沖縄より石川幸次君と達成❗️「吉田ルート」より。
《始めに》
今日は2018年10月4日。今から8年1ヶ月前のネタをなぜ、今更?そう「いいぶさ日記」を読んで下さっている方は思うでしょう。小生もそう思いながら今回は書いています。
小生の生涯を綴る「いいぶさ日記」このブログには過去「毎日やらなければ(書かなければ)、いけない」そんな義務的処理で毎日を更新していた時期があり、過去の内容に目をやると更新した自身が「イラッ❗️」とくるページもあります。
それらを消して書き直す、という作業は小生意味がないと思うし、10年後にこの「いいぶさ日記」がどのように更新し続けられているかも考えると、気になった時に手直し、追加更新、という前向きな作業が大切だと思う様になりました。
その第1本目がこの《【2010年9月3日】富士山登頂。…》にしようと決意。
そもそもこの富士山登頂自体、急な判断で行なったものだったのですが、今となっては人生で登頂した達成感は宝物です。
これから新たな道を切り開いていこうと思う時や、これからの決意といった大きな「山を越える」勇気の意思がこの再更新という動きとなり、いつでも読み返す事の出来るページに仕上げたかったのです。
《8年前のいいぶさ日記》富士登山の様子が更新されています。→https://kei-hiramatsu.com/2010/09/02/六合目/
8年も前の富士山登頂記。
だから、今リアルな検索情報として役立つことはないと思うのですが、小生、そして石川幸次君の大切な行動記録として永久に残していきたいと思っております。
2018年10月4日 平松慶
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《【2010年9月3日】富士山登頂。沖縄より石川幸次君と達成❗️「吉田ルート」より。》
「慶ちゃん。今週末、空いてる?航空マイルが溜ってるから、座間に行くよっ」そう気軽に連絡があったのが8月下旬の猛暑の日。
8月、9月は台風シーズンであり、沖縄GT釣行ツアーはお休みにしていた小生。だからこの時期は小生は神奈川にすっといるスタイル。どうやらそれを知っての連絡だったのだ。
大親友【Bob】こと石川幸次君は小生が座間に滞在していることを確認してから紫芝みどりさんに連絡。
「富士山昇りたいから、道具貸してくれない?」
紫芝みどりさん(以後mido)もこれには驚いたのだが、とにかくサプライズ好きなBobのこと。一度決めたらそう簡単に予定は変更しない性分なのはmidoさんも知っており、WILD-1厚木店スタッフに頼んで、こっそりと2人分の富士山登頂道具を用意しておいてくれたのだ。
9月1日。約束通りに沖縄本島からBobさん夕方に到着。
その足で「大吉座間店」へ。最近は飲み歩く事をやめた小生であるが、この頃はほぼ毎日のように少しのお金を握り、大吉で焼き鳥と焼酎炭酸割りを飲むのが楽しみであった。
そんな小生の行動を知っているので、Bobさん、midoさん、小生と3人で。
「明日なんですが、一応、お店(WILD-1厚木店)に来てもらえますか?」のmidoさんの言葉に小生だけが?マーク。
それまで(神奈川に来る前まで)Bobさんとmidoさんは何度も電話でやり取りを続け、富士山登頂に何が必要か、どの様なルートでどこに夜宿泊するのか、まで完璧に決めていたのだ。
「俺が、富士山?いやだよっ」そう言ったはず。最初は全く行く気はなかったのだ。
それでも沖縄本島から態々飛行機に乗って富士山登頂のために大親友が来ている。…付き合わなくてはならない、と腹をくくる小生。
翌日、WILD-1厚木店へと向かう。その際、吉田ルートが細かく書かれた登山ガイドブックを登頂前日に購入し、それを見ながら富士登山ベテランの後輩スタッフであるユウコリンに教えを被った。
(※後輩ユウコリンはお店「イベント」でも富士登山をよくセミナー等で行なっているため、心強いアドバイスをもらえた。)
ただ、小生登山シューズがない。そしてWILD-1厚木店さんでもさすがに30cmの登山靴は在庫していない。これは当然の事。
更に当然は続き、登頂当日に富士登山の話しを聞きにくるお客さんなど居ない。
小生の仕事柄で解説すれば、「今日からモルジブに行くので、GTタックルと現地の情報誌の解説をお願いします。ちなみにラインシステムは組めません。」そんな感じだ。
それでも後輩スタッフ「ユウコリン」はいやな顔ひとつせずに吉田ルートからの入り方、5合目での体調調整、7合目までの歩行スピード、スパートの8合目。夜の過ごし方。御来光までの逆算する起床と行動。そういった全てを教えてくれた。
さすが山のプロだ、と思い少しの時期でも同じ職場で仕事が出来た事を誇りに思えた。シューズだけはどうしようもなく、パタゴニアのロックショアシューズがあったので、それにした。いや、それしかなかったのだ。
こうして9月2日、WILD-1厚木店を出て東名高速に乗り、御殿場インターから富士山吉田ルート5合目を目指す。
運転しながら本音は「霧が出まくって、登頂中止になれば!」と思った程。その横でBobさんはノリノリ。
言われた通りに5合目に到着して1時間半ほど気圧調整でくつろぐ。お土産を見たり、登頂ルートを確認したり、と。午前中にWILD-1厚木店から移動して高速道路で1時間ちょいだったので、午後からの登山開始だ。
この時間配分も実は全てユウコリンとmidoさんが組んでくれていたもの。ベテランがサポートしてくれたので、後は気合いで上がり続けるだけ。
13時前にはゆっくりと昇り始める。最初から絶対に飛ばさないで、と口スッパく言われており、ゆっくり周りの景色を見ながら昇っていく。
まず最初の目的地は7合目。ここまででもBobさんかなり応えていた。下半身がツラい。太ももとふくらはぎの筋肉が破裂しそうだ、といいながら岩肌が露出した急勾配な道を進んでいく。
このころになると雲よりも昇っている位置の方が高く、景色は素晴らしい。汗が止らないほど流れて、それでも一歩一歩しっかりと大地を踏みしめ、昇っていく。
7合目[日の出荘]で休憩。トイレも有料。飲み物も高額。言われた通りだ。
だから水分補給は小忠実に行なうが、捕食はカロリーメイトなどを適度に食べ、塩飴などでミネラル分摂取をするように心がけた。
「さあ、次まで頑張ろっ」見上げる位置にある8合目。しかし、小生が今思うと吉田ルートで7合目から8合目までが一番キツかった、と思うのだが、登山ベテラン勢はこの意見、いかがなものだろうか…。
7合目に到着する1km前も岩が大きくてそれを乗り越えながらの登山だったから相当キツかったのだが、さらにそれ以上に急斜面で歩き難いコース。下(昇って来たルート)を見ると、足がすくむ。
高所恐怖症な小生、正直この時は本当に怖かったのでひたすら上を向き、昇り続けたのだ。
Bobさん、本当にツラそう。
少し昇っては、休憩し、少し昇っては、休憩。これでもどうにか8合目まで夕方17時前には到着することが出来たのだ。
この日の登山は終了。ここでカレーライスを頂き、翌朝2時半を目処にそれまで横になる。これがスケジュールであった。
仮眠所となる「白雲荘」で寝床をスタッフの方に教えてもらう。毛布が手渡され、頭の上にザックを置き、畳一畳がひとりのスペース…。
それでも身体を休めて翌朝の3km弱を昇りきらないといけない。だから少しでも身体を休めよう、休めよう…と思う気持ちと、次から次に入ってくる登山者の気配に当然眠る事など出来ない。
最後には、横のひとが額の汗をはらった飛沫が顔に飛ぶ始末…。小生、限界だ、と感じそこから出来るだけ静かに脱出する。すると、小生に付いてBobさんも出て来たのだ。
「限界だね。」宿の方にお礼を伝え、このまま夜中にゆっくりと昇ります、という事を伝え、宿を後にした。
22時前だったと思う。Bobさんと小生、ヘッドライトだけを頼りに、登頂目指して昇り始めた。
ここからは小生がBobさんをリードしていかなくてはならない。疲れているBobさんであるが、どうしても昇るぞ、という気力だけは物凄いものが感じられ、その勢いだけで小生も彼をひき連れる様に昇るしかなかった。
8合目後半に「ここが最後の休憩所」という宿があり、水分…といっても寒かったので暖かいものを飲む予定で休憩所に入る。
「仮眠しませんか?もう、ここからすぐデスよ」そう休憩所の方が優しく言ってくれる。
どうしても集合宿で寝付けなかった人達が先に昇ってくるのだが、これから先は当然休憩所もないし、頂上の休憩所は4時にしか開かない、と教えてくれる。
「ふたりとも、その格好で御来光まで待ったら、間違いなく風邪ひくよ。熱出るぞ」とアドバイスをいただけ、3時間ほど仮眠することにした。ここの仮眠所が最高に寝やすかった。「寝るだけで1時間1000円」であったが、この3000円はどこの素晴らしい5つ星高級ホテルよりも素晴らしい寝心地を提供してくれたのだ。
※値段は2011年当時の価格です
「Bobさん、そろそろ行くか!」3時間休んだので2時半頃。ゆっくりおトイレも出来、ストレッチをし終わってから、ラストの登山開始になる。
目的地まで本当にあと僅か。最初の鳥居を通過した時に昇って来たルートを見る。
すると、人の列がヘッドライトの線となり、それがグネグネと下へ、下へ、と繋がっている。物凄い光景だ。きっと今なら「インスタ映え」なショットとなるのだろうが小生らはその様子を目に焼き付けただけ。それで十分だ。
もう先が分かっているので焦る気持ちはなく、4時に頂上休憩所へピッタリに入り込めることを意識してペース配分する。
ほかの登山者に聞くと、頂上の休憩所で飲むお味噌汁が抜群に美味い、のだ。とか御来光までは寒過ぎですからね、と過去経験したことを登山中に話してくれる。
「どちらから来たのですか?」のお決まり挨拶に「沖縄です」と応えると打っ魂消られ、コミュニケーションが取りやすい。
Bobさんは南林間の『珍満Tシャツ』小生は沖縄の『沖縄サーフィン大会Tシャツ』どちらも偶然であり、それを上手く利用し、登山者との会話を弾ませたのだ。
ヘッドライトに照らされた路面をひたすら昇り続ける。とにかく一歩一歩、しあっかりと大地を踏みしめて昇り続ける。そして3時50分、無事に頂上まで到着。
Bobさんと小生はそこで言われた通り4時からシャッターが開く頂上休憩所でお味噌汁をいただく。
インスタントのみそ汁にお湯を注いだだけの「お味噌汁 一杯500円」。でも身体の芯から温まり、美味しいみそ汁の意味がわかったのだ。
ここで着ているものを追加する。汗で濡れたTシャツにレインウエアーでは御来光まで身体が持たない。
暖かな服装に着替え、そして小生は北村秀行さんがお店オープン時に作ってプレゼントして下さった【大漁旗】を用意し、沖縄からわざわざ持参した【ぜんざいの富士家 氷ぜんざい】をBobさんが準備する。そして「オリオンビール」も忘れずに。
休憩所を出て、御来光が見える位置まで向かう。正直、足はパンパンに腫れ、疲労度は限界に来ていた。
小生、昇る動きは全く大丈夫であったが、足指の爪がツラくて、ツラくて。下山して分かったのは、10枚の爪のうち、9枚が真黒の血豆が入り、後に全てめくれた、という代償まであり、の結果であった。
ゆっくりと太陽光が山の尾根を越えて我々の前に昇って来る。紫色からみどり色になり、紫色とオレンジ色が交互に見えたと同時に暖かな太陽光が小生らを照らす。
ここで頂上にいた人達からの歓声があがる。ハグして喜ぶもの。黙って御来光を見続けるもの。オリオンビールで乾杯する者、泣いている人、万歳するひと達…etc
御来光に「ぜんざいの富士家 氷ぜんざい」を掲げいただく。Goldicの大漁旗をBobさんと広げて達成を身体全身で感じる。
「昇りきった。ついに日本で一番高い位置に自身の足で昇り詰めた」
そう気持ちが盛り上がり、自然と涙が出て来たのであった。これを越えることはない。ここが一番高いところだ。
常にここをこれからも目標に取り組んだことは頑張り抜くぞ。そう御来光を見ながらの小生であったのでした。
こうして石川幸次、平松慶、ふたりの富士山登頂は達成した。下山は小生、指先が痛くてゆっくりと降りるしかなかったのだが、サーファーBobは赤砂の上をまるで波乗りするかの如く滑りながら降りていく。物凄いスピードで降りていく。これには驚くしかなかった笑い話しであったのだ。
帰宅し、ゆっくりとお風呂で身体を休めてから、大吉へ。
ここで飲む乾杯はどうしようもない程の旨さであったし、達成感で漲っていた。
満ちあふれる意欲、というのはこの時だったのだろう、と思いたい。そんな富士登頂であったのだ。
いつかは越えたい、そう思う父親の背をいつも後ろから見ていた小生。この日、9月3日は父親の誕生日。
偶然にもそんな日に大きな達成が出来、これからの励みにしていきたい。
ユウコリン、midoさん、そしてWILD-1厚木店スタッフの皆さん、本当にサポートありがとうございました。