【オフショアアングラー、最近お洒落に。】昭和野郎の呟き…ひと昔前を見てみると。
タラスブルバ(アシックス)に双進(リバレイ)、SASAKI(ここまで出すと、古過ぎかな?)など、昭和時代の釣りアパレル産業は当時から活気付いていた。
それに合わせて量販店のゴンドラやハンガーバーには中国産無名ブランドの安価札と共にGW前の大セールで販売するために巨大段ボールに詰められたウェア類を汗流しながら陳列していたのを思い出す。
私が小売店小僧時代だから、22歳としても今から30年も前の事になる。中国産塩ビ衣類が安く動き出した時代だ。
今思い出せば、塩ビウェア類ってパッケージから出した瞬間、猛烈な悪臭が付着し、翌日の店内は換気しなければ営業出来ない程の臭いであり、絶対に身体に悪かったと想像出来る。だから、塩ビウェア類の販売位置は決まって店の入り口だった。
大型ストアなど、間違いなくその販売方法だったはずで、店内にきちんと陳列してあったのはアングラーズハウス(笑)。ゴム長からニーブーツ、ベストにウエーダーに小物ポーチにハット類まで…。アングラーズハウスを着ているアングラーは釣りが上手い‼️と私は素直に思い込んでいたし、アングリングなど、都内出版社が発行していた釣り雑誌のカラーページを飾っていた人々はみーんな『アングラーズハウス』(笑)。
地方雑誌のカラーページはそんな人は誰もいなくて、中国安価塩ビウェアを纏い、ガッツリ咥えタバコで魚を持っている写真ばかりの印象が今だに消えないかなっ。だから釣りをする時のウェア類は私は特に気を使う様にした。
釣り界大師匠の永井誠一師匠はヘリーハンセンにカーバーベイの絵画バックプリントTシャツ。それに爽やかなバンダナって姿が東京っぽくて憧れていた。
京都在住の永井誠一師匠は、東京アングラーと共に夏になれば、小笠原遠征をバンバンこなされ、そういった関連からでしょうね、ウェアが爽やかでスマートだった。だから、私も真似しなくては‼️とガーバーベイの絵画Tシャツをハワイでたくさん購入し、パンツはパタゴニアにした。
しかし、20そこそこの若造がパタゴニアウェアなど当時手にするだけで必死のパッチ。パタゴニアより安いヘリーハンセン直営店が大阪梅田にあったので電車を乗継ぎ、泣け無しの給料を持参して買いに行った思い出がある。
釣り(オフショア)のイメージってやはり、釣れたら魚のヌメリなどが衣類に付着し汚い、臭い、汚れる、3K(これも今は言わないか笑)に似た過酷な条件が揃っていた。だからお洒落着はなるべく釣りには着たくなかったのが、本音。
当時から舶来物が好きだった私はグレゴリーのウエストバッグやらポーチなんかも当時の物をまだ所有しているが、長男、次男、共に古着が大好きで、いわゆる「旧ロゴもの」はぜーんぶ持って行かれちゃった笑。
それ位当時は舶来物が好きであり、使っていたから、釣り場での衣類などはほかのアングラーなどよくチェックしていました。
それが、ここ数年で…。
お世話になっているパタゴニアウェア類を船上でよく見かける様になった。街着じゃないです、乗合船での話。しかもチャーター船なら、お客さんの指向も分かっているのでそれほど気にもしてなかったが、最近の乗合船で目にするパタゴニアウェア類はなんだか嬉しく感じます。
ヘリーハンセンは前からよく見ていた。しかしパタゴニアウェアは、あまり見なかったのが本音。それをサクラマスジギングの時でも御蔵島釣行時でも必ず何人かは着用されたアングラーが同船されており、時代でそのブランドが評価されているんたまなぁ、と気付く。
パタゴニア米国ストアで、その昔。店内に陳列されたウェアからの悪臭に身体を悪くしたスタッフから始まり、その製品の製造ルートまで全て見直す時代が始まった。
働く者への配慮。生産体制の見直し。こうした、企業としての改革が今のパタゴニア理念となりファンを増やし続け、こうした末端の船上まで素晴らしさが伝わって来たのだろうなって思っている。
30年前に『この塩ビレイン、臭っせー』と言いながら荷出しをしていた私。意識はもう少し当時から環境に目を向けていたら、何か違うアクションが出来てたかもしれないなっ笑。
そう感じながら、穏やかな海の上で、背に見えるパタゴニアロゴを見て感じたのでありました。