中京柔道部の先輩や後輩君らがよく使う居酒屋さんから、酔われた先輩方の着信が一番多いお店が《炉ばた焼き つるた》から。
実業団柔道部の人などもよく使っているみたいで、所属の枠を越えた飲み会もよくある様だ。
柔道繋がりで多くの知り合いが使っているお店に今回タイミングが合えば行きたかった。私は神奈川在住なので、学校の同期会なども顔が出せておらず、店主の鶴田君ともSNSでは繋がっているが、顔を合わせるのは卒業式以来。
だから二次会は《つるた》に行きたかった。
パーティー解散後に三菱重工柔道部元監督の山本先輩にチラッと打診してみる。「先輩、つるたで次飲みませんか?」と。それを伝えると、もう決まっている様で、何人かの先輩方の名前が上がっていた。
私は素直に嬉しかった。こんなタイミングでなければ、豊田で飲む機会もない。近い先輩方とゆっくり飲める。それが嬉しかったのだ。
パーティー会場を後にし、杉本先輩とタクシーで《つるた》に向かう。豊田駅から離れた場所の様だ。
店内に入ると既に先輩方は飲んでいた。再び乾杯。店主の鶴田君はは焼き物に忙しそうで、顔をみた程度。目と目を合わせ、ニヤッと軽く挨拶。忙しくしているので、それだけで大丈夫。
先輩方との酒ネタは、柔道部内のしきたりやシゴキの思い出から始まる。
【セイレツ】と言う伝統が中京柔道部にはあった。
稽古後、三年生が二年生に伝え、一年生の素行を叱る伝統だ。もし今行われたら、パワハラだの暴力問題だの、コンプライアンスの枠を越えた「大事件」になる。昭和当時は当たり前だった事、今指導者側の立場で置き換えてみたら、考えられない行き過ぎになる。
それを当たり前だった時代によく耐え抜いたものだ、と我ながら思ってしまう。
因みにだが、もう時効なので少し【セイレツ】について書き残しておきます。
中京柔道部は、基本的に1年生は天皇の3年生と気安く会話してはいけなかった(出来なかった)。全て2年生を通じての会話であった。
だから2年生からの伝達は、3年生からの発信。これを分かっていないとダメなのも理不尽な時代を当たり前だと思って過ごしたのだ。
まず、3年生の先輩が練習中、もしくは練習後に2年生に「今日、セイレツやれ」と伝える。2年生はソワソワし出す。やたらと2年生の先輩方は「早く仕事(先輩の柔道衣洗濯や包帯干し、道場の掃除)を済ませろ」と怒り気味で言う。
1年生は、その瞬間でなんとなく「今日、セイレツかも…」と直感する。
2年生は、隣の剣道部先輩(2年生)にこれからセイレツだからと伝える。剣道部は、シーンとする。
道場の電灯が消える。「一年!セイレツ!!」先輩らは、剣道部から竹刀を借り、掃除のホウキを持ち、帯を束ねている。バットも持っている…。
この言葉に、畳横一列に並び、目をつむる。
初めての【セイレツ】はインハイ予選前だった。それから3年生の先輩が引退するまで4度ほど行われたのだが、これが恐怖の伝統でその後も引き継がれていたのを今回聞いたのでした。
●練習中、声が出てない!「はい!」ボコっ!ぎゃー!すみません!はい!目をつむっているので誰がボコられてるのかわからない恐怖。
●道場でテーピングが落ちてた!「はい!」どかっん!ぎゃー!バシッ!うぅえっ!ど突かれた音だけがする。
●榊(神前)が変えてない!「はい!」ぎゃー!すみません!すみません!!ウゥ〜!誰かがボコられてる。
●タイマーが遅い!「はい!」グゥ〜!ぎゃー!!オス!ズコーん!!これ位になると先輩らも白熱してくる。
●校内での挨拶の声が小さい!「はい!」ぎゃー!!!ズドーン!!グエッ!もう生きてる心地がない恐怖。
「わかったかぁ怒!!注意しとけよっ、いいか!!!!」「はい!!」シ〜ン…道場の電灯が付かられて終了となる。
だいたい【セイレツ】は40分ほど続く。先輩の声で、誰が行っているのかはわかっている。しかし、誰がど突かれ、蹴られ、叩かれまくっているのかは、まだこの時点ではわからない。ひたすら目をつむり、じっと先輩の言葉に「はい!」を伝えるだけしかないのだ。
※平松は【セイレツ】の時に一度もど突かれませんでした…。
そんな話がやっぱり酒の席には最高にツマミになった。「厳しかった先輩は誰だ!とか、嫌いだった先輩は誰だ」と先輩から問われるが言える訳ない。笑いながらも顔が引き攣りながら応えたのでした。
また飲んでる時の携帯電話は魔物になる。「⚫︎⚫︎に電話しろっ」が始まるのだ。柔道部あるあるだと思う。私は携帯をカバンに隠して正解だった。
典実先輩がトヨタ自動車柔道部(実業団)監督の壇上先輩に連絡をしろ!と。先輩の携帯発信で私に渡される。これで壇上先輩、参加。
更に私が3年生だった時の1年生を呼ぶ、と同期が連絡している。1年生の溝口君、慌てて参加。実は一年生の時の溝口君の面影が記憶に出てこない…。最悪な先輩だ、俺は。
それを彼に伝えると、現役時代からかなり痩せた様で、本当に申し訳ない、と平謝り。
溝口君は先輩らのエジキとなる。「誰が一番インケンだった?」は恒例のネタ。
彼の3年生はここに私と同期、菊池君しかいない。「一番稽古が厳しかったのは、…..平松先輩です」と。えっ?俺?。
「溝口君に厳しく当たった?」と確認した。
後輩は、上手く言葉を選ぶものです。
「一番稽古していたのが平松先輩でした」と再び。30年前に、厳しくされ耐えた時の事は忘れていませんが、自分らが天皇(トップ)になった時の事は全く忘れてしまっています。都合良いですね。
そんな現役時代の話は尽きず、終電間際まで盛り上がったのでした。
店内のお客さんもひけ、鶴田君が横に来てくれた。同窓会会話になる。
彼は野球部。私達の代は甲子園でベスト8。熱い夏を野球部が作ってくれた。甲子園の話や同期の話に盛り上がる。
男子校時代だった我々。安藤美姫さんや浅田真央さんらは、ずっとずっと後輩。漢、漢、してケンカが好きな荒れた連中ばかり。
野井監督パーティー時でも古い先輩方は「停学中で卒業式に出ていなかった」とか「入学式の日に停学になった」なんて話ばかり。
二次会の同期とも、やっぱりそんな話になる。懐かしい思い出話をしながら酒を飲む。
こんな時間はずっと無かった。仕事の事で頭がいっぱいの毎日。夜は柔道時間。外出して酒を飲む事自体が久しぶり。有難い時間になったのでした。
ただ、翌日は昼から店。それと次男坊のインハイ予選をインスタLIVEで応援したかった。
深酒はやめ、終始ゆっくりと楽しませてもらったのでした。懐かしい時間が走馬灯の様に駆け巡りました。
《炉ばた焼き つるた》とっても美味しかったです。最高でした。有難うね、鶴ちゃん。