【ニューカレドニア・ヌメア】「天国に一番近い島」だったが…まさかの展開に。

海外遠征体験記

【ニューカレドニア・ヌメア】「天国に一番近い島」…しかしまさかの展開に。

ニューカレドニアには10日間の時間を使い、洋上生活が6日間、あとの4日間は街での生活となる旅をしてきた。

日本からおよそ8時間。ダイレクトにニューカレドニアへ入れる事が何より楽であり嬉しい。旅好きなヘビー旅行者は物足りないだろうが、私は「簡単、安心して、楽チン」『簡・楽・安』な旅が好きなのだ。

旅先によってはもちろん『簡・楽・安』な旅では辿り着けない場所もたくさんある。
しかし時間の許す限り訪れた国を満喫したいと思う気持ちや、国の雰囲気、文化にも触れてみたい、と感じる私なので、旅先決定時は臨機応変。

直行便があるならば、安全と楽チンをとり安心感の高い直行便を選ぶし、最初からトリッキーな仲間との旅であれば、安宿やALC航空会社、現地節約中心のスケジューリングにして仲間とのスリリングな時間も大切にする。
要するに、行く相手にいくらか合わせて私は旅しちゃってる、というスタイルなのである。

ニューカレドニアは日本主要国際空港からなら、8時間だからバリ島直行便とあまり、いや…ほぼ変わらない。
フランス領であったニューカレドニアはたくさんの珊瑚礁に囲まれた島々がいくつも集まり、首都はヌメアになる。

今日のお話はヌメアで感じた『天国に一番近くなる島』のお話です。

ニューカレドニアを原田知世ちゃんは「天国に一番近い島」だと唄って日本中の昭和80年代男子青年らをカチカチでニヤニヤにさせ、その人気は今も衰える事なく続いているが、私も原田知世ちゃんが唄った曲でニューカレドニアを知った。

当時、チューボーだった私は柔道小僧であり、柔道中心の中学生活を送っていた。

そんな時、TBS局「ザ・ベストテン」から聴こえてきた曲とフレーズ。「天国に一番近い島…」か。

当時は島なんてイメージは愛知県にあった篠島や日間賀島くらいしか知らなかった。それがいきなり天国に一番近いだなんて、どんな島なんだ?いつか、行けるのかなっと思ったのがまだ記憶にある。

それが30代半ばになり、ホントに行くスケジュールが立ち、成田国際空港からビュンと跳んでみたのである。

ヌメア国際空港に着くと、予想していなかった雰囲気に驚かされる。

フランス領で観光地の写真を見れば、白く塗られた壁に近代的なレストランが並ぶ街並なだけに、ヌメア国際空港のあまりにも私の生活環境に相似した、いやマッチングされている雰囲気なだけに、一撃で好きになったのだ。

たくさんのプルメリアが咲き乱れる街路樹として植えられておりかなり年配の叔父ちゃま、叔母ちゃま達がゲートボールのノリで鉄球を投げては遊んでいる。

『ペタンク』を楽しむ御年輩方。皆、フランス人の様で、植民地時代からの名残なのかもしれないですね。
私は当然ルールなど知らないから、ただベンチに座り見てるだけ。

この夜、ローカル二人兄弟とラストナイトを楽しむためにディナーの約束があった。

また他のタイミングで掲載するかも知れませんが英国式リフルクソロジーとやらを施術してもらったのだが、まあ予想とは反して…そのネタは他で書きます。そのリフルクソロジーにガッカリし、ビーチを眺めて時間を潰していたのだ。

約束の時間になり、わからないなりにヌメア市街の繁華街へと向かう。

派手な雰囲気ではなく、ビル内1階の裏角をオープンカフェみたく開放的にしてある作りのお店。今夜は『オイスターバー』で牡蠣を中心とした海鮮料理パーティーであったのだ。

さすがフランス領である。食事スタイルも洒落ており、クラフトビールをいく種類か呑み比べ、お気に入りを探し、乾杯。

更に甘いの辛いの、酸っぱいなどのスパークリングワインを選ばされ、スパークリングワインで満足する前に本格派ワインへと流れていく。

最初のクラフトビールで酔いたかった(笑)次のスパークリングワインで酔いたかった(笑)でもなかなか3杯、4杯とは更新出来ずで、酒ステージを次々変えられてしまうのであった。

そんな時、大量の綺麗に向かれたオイスターが運ばれてきた。ものすごい量だ。

お酒の摘みなのか、フランスパンを最初に食べまくった私の恥ずかしさ。礼儀やマナーを知らない下品なアジア人をやってしまったに違いない…。
しかしあまり相手のフランス人兄弟は顔に出さなかったので、見て見ぬ振りか無礼がセーフだったのだろう。

私はオイスター(生牡蠣)がアレルギーであったので、食べたかったのだが、ボイルにしてもらった。
生の海老、蟹、貝類が一切ダメな私。

身体中に巨大クレーターの様な赤い斑点が出来てしまい、耳中から喉奥、身体中にカユカユな症状が出てしまうのだ。
「アレルギー」と伝え、ボイル、スチームをリクエストしたら私だけの幸せメニューが運ばれてきて、白ワイン、赤ワインでこれほどない最高な海鮮贅沢ラストナイトをして頂いたのだ。

私は東南アジアが職種柄旅する事が多い。南太平洋でもオーストラリアなどより、インドネシアや大陸方面が中心であり、西洋マナーは出来ていないだろう。

しかしニューカレドニアで頂いたオイスターバーでの雰囲気は、ファーストタイム、堅苦しいのかな?と驚きながらのスタートであったが、ラストはいつしか「マイペーラ」「ケンチャナヨ」になっていた気がする。

英語だけの旅生活を30代はよくやっていたので可愛娘ちゃんとも普通に会話出来たし、英語でのやり取りに苦は全くなかった。
ただ40代後半になるとあまり海外での「冒険野郎Kチーム」を実行しておらず、日本人に、英語でふざけて突っ込まれても腐った脳みそが今は更に発酵し始めているので半速チャンネルが鈍り話せなくなっている。最近、気付くのだった。

いやいや、とにかくたくさん話し、騒ぎながら交流を浮かめたラストナイト。

私はコールガールがたむろするBARは遠慮して部屋で爆睡をかましたのだが、翌朝ヌメア国際空港まで1時間かけて送ってもらう際に兄弟の兄さんが居ない事に気付いた。

弟に「兄はドリンカー?か?」と聞いたのだが、いやいや違うようだ。

「兄は、ダイ…(死んだ)よ。病院に運ばれたんだ」と言う。マッ!マジかっ!!!

その後少しはにかんだので、よくよく聞くと前夜の生オイスターがあたり、夜中に病院へ入院。今、苦しんでるよ(死んでる、とジョークをかまされて)と。

私はオイスターをスチームにしてもらったので全くのセーフ。兄さんはガッツリ食べて飲んでいたから、疲れも溜まっていただろうし、菌に負けたんだろうなっ。

今頃、天国に一番近い位置にいる人は、兄さん。私も一歩間違えば、天国に一番近い人になってたかもしれないなっ、そんな事を考えながらの帰国でありました。

●ニューカレドニア渡航回数 1回
●ニューカレドニア通貨 パシフィックフラン

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