【変わらないために〜変わり続ける】あさ出版 大嶺隆著 ぜんざいの富士家で学んだ沖縄生活。
「ケイちゃん、元気かっ⁉️」いつもと変わらない連絡を下さった沖縄の大嶺社長。
社長が執筆されている事はSNSで拝見しており、時に「文章を書くツラさは痛感するね」と連絡をくれた時に言っていました。
私も10年ほど前にエイ出版社より【平松慶のヒラマサワールド】という完全に個人のムック本を出版させていただいた。
全てを書くことで始まった出版話。本誌内に過去の連載抜粋はいくつかありましたが、最新の内容を全て文字に起こさなくてはならず、神経を削り書き続けた思い出があります。
本誌には[ぜんざいの富士家]の広告も入れてもらえました。ぜんざいの富士家さんとは沖縄生活での支えでもありました。
「ケイちゃんをサポート(スポンサー)するから、サーフィンをやろう」とサーフボードを用意して下さり、台風が近づいている海に富士家の面々と何度も入っては仲間としての絆を深めてきました。
「1年の沖縄(那覇)滞在100日を10年間。」住まいは大嶺社長の使用していなかったマンション。ごはんは富士家さんでいただいてきました。現地の足となる原付バイクはデリバリー中の仲間の仕事中に使わないバイク。
サーフィンは早朝の時もあったし、船(マンブー船)で慶良間諸島まで出てビッグウェーブにも乗らせていただいた。あまりにも波が良くて1本の波に乗り続けて船に戻れない程もあったり、反転流で岸に戻れなくて半泣きになった事もありました。
やんばるまで遠征し最高の波に乗り、帰りの砂辺で夜中まで呑んだ思い出、ライブコンサート催事では私もぜんざいの販売をさせてもらったり、と書き出したらキリがないほどの思い出が次々と出てきます。
42歳の時に、余命4ヶ月の末期ガンから復活した時、ミッションビーチでビギンの『笑顔のまんま』を唄って下さった大嶺社長。
ぜんざいの富士家No.2の石川幸次君と凍ったぜんざいを富士山登頂し食べた思い出、バリ島でロング滞在しサーフィンと、はちゃめちゃな生活をした思い出、どれもぜんざいの富士家との繋がりから始まった思い出ばかりです。
大嶺社長が本書を出版され、私はどうしても読みたかった。
何としても手に入れて読みたい。ネットで購入しよう、と考えましたが書店で並んでいる本書を手に取り、それを購入したいと書店を回り始めました。
神奈川県内、書店はどんどん無くなっています。これは時代の流れなのでしょうね。「本屋」がないのです。それでも車で書店を探し、無ければ次への行動で探しました。
7件目に「さすがにここで無かったらwebで購入しよう」と思った書店で遂に入手。感激でした。ビジネス書が並ぶ棚に刺さっていました。
手に取り、レジに持っていきます。なぜかワクワクしながらレジへ。
ついに購入出来ました。帰宅してから読もうかと考えましたが、翌朝コーヒーを準備して一気に読ませていただきました。
長い沖縄生活と『ぜんざいの富士家』との関係。ロウニンアジを求め沖縄本島に向かい、そこで繋がった富士家のメンバーとの繋がり。
本書を読みながら、たくさんの富士家スタッフの顔が浮かび、そして場面と書面とがリンクしていきました。
素敵で素晴らしい本書です。どうか本屋さんでご自身で探され読んで欲しいです。那覇に帰りたくなってしまいました。







